静かなる躾


 一ノ瀬は私を自らの車に乗せ、東京を直走った。車内は沈黙が転がり、これから体を交えようとする男女の雰囲気ではない。この雰囲気に耐えられないということではなかったが、どうにも手持ち無沙汰になり鞄から煙草を取り出す。


「やめろ」


 車内でのはじめての会話はそれだった。私は盛大に溜め息を吐き出し、鞄に煙草を仕舞う。一ノ瀬が愛煙家だというのは周知の事実。どうやら車内で吸うのは嫌らしい。面倒臭い人間だ。

 車が動きを止めたのは、業くんが部屋を構えるセキュリティー万全のあの高級マンションだった。


「……どこかのホテルでいいじゃない?」
「俺を誰だと思ってんだよ? 安全が保障されないホテルに行くなんて勘弁だね」


 私は業くんがいるかもしれない場所であんたに抱かれたくないだけだけど。

 私は車から降りて一ノ瀬の後に着いて行く。道すがら業くんの車があるか確認する。定位置に業くんのクラシックカーは存在しなかった。安心してしまうような、けれど悲しい気にもなるような。彼の顔を一目見たかった。

 彼はなぜ、私が轢き逃げしたことを知っているのだろうか……? 

 あの喫煙所ではそれ以降彼と話は出来なかった。業くんが私に突き付けたその言葉の後、すぐに凛くんが喫煙所に来て、撮影開始だから、と業くんを連れて行ってしまったのだ。私はMV撮影を最後まで見ずに出たからあれから業くんとは顔を合わせていない。ただ、日々の記録である音声データが送られてくるだけだ。

 脳内は業くんで満たされる。業くんのことを考えながらエレベーターに乗り一ノ瀬の部屋に入る。


 それはそんな瞬間だった。強烈な右ストレートが飛んでくる。殴られたと気付くのに数秒かかる。一ノ瀬の平手打ちが私のほおにクリーンヒットした。ぱしん、だか、パンッ! だか知らないが私の鼓膜に渇いた音が響き渡る。私は殴られたほおを片手でゆっくりと押さえ、一ノ瀬を睥睨する。

「三好凪、てめぇ腹立つ」


 これが世間は知らない一ノ瀬雅の暴力性。

 私の手が出たのは彼が言葉を落とした数秒後。世間様が狂う程に騒ぐRiotのセンター、所謂日本が世界に誇るご尊顔を平手打ちしていた。部屋に2発の物騒な音が落ちる。


「……こっちは商売道具なんだよ」
「Riotは顔で売っているの? ダンスや歌じゃなくて」


 くすり、嘲笑えば、一ノ瀬は気に入らないようで私の髪の毛を根本から引っ張り上げる。見目麗しい男の怒りは筆舌し難い魅力だ。完璧に美しく作られた男が我を忘れ、憤怒している。そんな人間的に欠損した部分を惜しげもなく晒しているのは元記者として興味深い。はッと破裂音で嘲笑ってみる。一ノ瀬は私を汚物を見つめる瞳で見つめてきた。

 頭皮の痛みで眉根を顰めれば、噛み付くようなキスが落ちてきた。それはもう欲求だけに振り切った慈悲のカケラもない野蛮なものだった。


「舌出せ、噛み切ってやる」
「……できるものならどうぞ」


 野蛮な彼もできる限りの挑発をする私。どうやら私たちは同族のようだ。
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