静かなる躾

 Riotの一ノ瀬 雅もここの会員だったか。凛くん、そういうのはじめに言ってよね。

 どうやら私がこのボクシングジムを出るのが早く、彼は来るのが早かったようだ。私は確かに虫ケラだが、この長身痩躯に上から見下ろされるのは気分を害する。私は大きく溜め息を吐き出し、彼の横を通り過ぎようと試みる。ガン! と、けたたましい音が私の鼓膜に響く。一ノ瀬は私の横にある壁を蹴り、その長い足で行手を塞ぐ。私は鷹揚に一ノ瀬を見上げる。私だって機嫌が悪い。


「……今度、俺の前に姿を見せたら殺すって言っよなぁ?」
「そんなこと覚えているの? Riotも暇なのね」


 一触即発。無言の応酬。数多の言葉で言い表せるが、簡単に言うなら私たちの相性は最悪だった。まぁ、私が引き金を引いたのだが。だからって何も影響がなかった昔の出来事に執着されては溜まったもんではない。


「……み、雅くん」


 コーチはオロオロと困惑したような表情でこちらを見ている。すると、一ノ瀬はコーチの方に、きろり、瞳を向けた。美人が怒ると迫力がある、という話は昔からあるがコーチはそれを実感したのか、向けられた視線に怯える。


「……こいつゴシップ記者だけどどうなってんの? なんでゴミカスがこんな場所に出入りしてるわけ? おっさん、ゴミを掃除するってことができねぇの?」
「…き、記者?! そんな、はずは……」


 Riotはその名の通り、荒々しくワイルドさや男らしさを強調したダンスボーカルグループだ。どいつもこいつも神が容姿端麗に作った7人で構成され、近頃では米国のビルボードチャートに軒並みランクインしている。私が一ノ瀬の尻を追いかけ回していた時、彼のゴシップを世間に広めた時、彼らは日本でしか人気がないグループだった。俺様で周りを萎縮させなければ気が済まない態度は、昔も今も変わらないらしい。人間はそう簡単に変われない。


「記者、辞めたんです」
「は?」
「だから記者辞めたんです。あなたも昔のことに固執するのはやめた方がいいんじゃないですか?」
「……人の人生終わらせようとした人間がなんだぁ? その口の聞き方は?」
「結果的に終わらなかったじゃない」
「ゴシップ記者つーのは、本当にクソだな。ゴミ以下だ」


 私は瞳を研いで一ノ瀬を見つめる。ゴミカスだなんて自分が一番理解している。あの頃の私に人権など無い。過去の私はこうして罵倒されるべき人間だ。だけど、過去は変えられない。

 私は一ノ瀬から目線を外し、彼の持て余した長い足を潜った。解放された体で一直線にシャワー室に向かう。

 シャワー室に入り、深呼吸をひとつ。鏡に写る私はどこか弱々しい顔付きをしていた。過去は涼しい顔をして背後を取る。


「おい」


 シャワー室がからり、音を立てて開く。脱いでいたスウェットが手から滑り落ちた。眼前には麗人がひとり。


「……いい加減にしてよ」
「記者辞めたんだって? つーことはさ、おまえのことここで抱いても、誰も文句言わないってことだよな?」


 怒りで瞳を研ぐこの猛獣は私の尊厳を踏み躙りたいようだ。自らがされたように。


「ここじゃイヤ」
「……生意気な女」

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