悪戯な魔法使い

 
 ただそこにいるだけで、抜群の存在感がある人はごくたまにいる。エリーの脳裏に真っ先に浮かんだのは、他でもないナルムクツェその人。
 そして今、朝の光が差し込む学内の廊下で鉢合わせた人物もまた、人を圧倒するような特別なオーラを放っていた。
 
 「エリー・フォーサイス、昨日の夜も寮から出て一体どこに行ってたの? いつも消灯時間ギリギリになるまで戻って来ないなんて。まさか誰かと会ってるんじゃないでしょうね」

 ジェシカ・ムーアは、ウェーブのかかった豊かな金髪を肩の上で優雅に払うと、背の低いエリーを見下ろした。我の強そうな緑色の瞳に捉えられ、エリーは身動き一つ取れない。正に蛇に睨まれた蛙状態だ。
 しかしナルムクツェからレッスンを受けていることを、この場で漏らす訳にはいかなかった。

 いくらエリーの成績が悪いとはいえ、定期的に個別でレッスンを行うのは特定の生徒を特別扱いしているとみなされ、ナルムクツェにとって外聞が良くない。
 彼からこの件について直接口止めはされていないが、生徒の混乱を避けるため、学内では二人が婚約中であるのを伏せていることも合わせて考えれば、言わない方が賢明だろう。
 それに、秘密にすることによって誰も知らない二人だけの繋がりが出来たようで、エリーは密かに喜んでいた。
 レッスン内容は散々だが。

「聞いてるの?」

 ジェシカにギロリと睨まれ、ハッと息を呑む。
 ふと、彼女の胸元にある大ぶりのエメラルドのブローチが目に入った。父親からプレゼントされたもので、滅多と手に入らない最高級の逸品だと前に散々聞かされたのを思い出す。正確な価値は分からないが、エリーが一生かけて働いた給金をすべて注ぎ込んでも、絶対に手に入らない代物だろう。ジェシカは富豪の家の生まれで、望めば何でも手に入り、本人もそれを当たり前だと思っているようだった。

 自慢のブローチを光らせ、エリーの全身を眺め回しながら、ジェシカがゆっくりと近付いて来る。

「茶色のショートヘアに茶色の瞳。顔の作りも平凡そのものね。おまけに背も低いし、スタイルも最悪。家は汚いアクセサリー屋だった? これだけ地味で冴えない子どもに夜遊びなんて似合わないわよ。あ、違った。同い年だったわね、わたし達」

 ふふ、とジェシカはふてぶてしく笑って見せると、その歪んだ顔をエリーに寄せた。

「あんな成績でわたしと同じ2年生だなんて信じられないわ。外見だけじゃなくて、おつむまで小さな子ども並みなのかしら。この学院にあなたは相応しくないの。今すぐ辞めたら?」

 ジェシカにどん、と体をぶつけられる。

「さ、今日はナルムクツェ先生の講義があるからいつもよりもお洒落しなくちゃ。先生と講義中に何度も目が合うのよ。わたし、男の方が放っておかなくて。そうね、あなたはクマかウサギのぬいぐるみでも抱いて寝てたらどう? そっちの方がお似合いよ」

 よろけたエリーの背中をジェシカはトントンと愉快そうに叩き、ヒールの音を響かせて去って行った。
 嫌味を吐くだけ吐いてすっきりしたらしい。おかげでこちらの気分はだだ下がりもいいところだ。気にしていることを容赦なく突かれ、胸がズキズキと痛む。

 ジェシカとはまるで住む世界が違う。
 それなのに、顔を合わせる度にどうしてこうも突っかかって来られるのか、エリーは常々疑問に思っていた。
 
(サンドウィッチでも食べよう……)

 腹の虫が、ぐぅ、と鳴く。
 考えても分からないものは仕方がない。お腹が満たされれば気分も変わるだろう。広い廊下で突っ立っていたエリーだったが、その足を朝の食堂へと向けた。


< 3 / 11 >

この作品をシェア

pagetop