悪戯な魔法使い


「追跡魔法についての講義を始める」

 ナルムクツェの講義が始まったのは、エリーが這うようにして講義室に入ったあとすぐのことだった。階段状になった室内では百人ほどの生徒が着席し、始まったばかりのナルムクツェの講義を傾聴している。生徒達は皆、ノートにメモを取ったりレコーダーで録音するなどして、ナルムクツェの言葉を一言一句聞き逃すまいと必死だ。

 エリーとて必死だった。必死で、眠気と戦っていた。
 いつもなら順調にペンを走らせているところだが、度々襲ってくる鉛のように重い眠気に何度も足止めを食らう。頬杖をつく手のひらから、かくんと頭が落ちては目を覚まし、しばらくしてまたかくんと頭が落ちる。その繰り返しだった。

(後ろの席に座ったのは正解だったな……。これだけたくさん生徒がいたら、寝ているわたしのことなんて先生から見えていないだろうし)

 エリーは安堵しつつ前列の見知らぬ男生徒の背中に隠れながら、遠く離れた教壇に立つナルムクツェの様子を伺った。

「追跡魔法は、かけた相手の行動をすべて把握することができる。逆に追跡されたくなければ、相手に自分の名前がばれないようにするのも一つの方法だ。これは追跡魔法に限らず、どの呪術に対しても共通している。呪術には名前が必要不可欠だからな。教科書の183ページを開いてくれ」

 ナルムクツェは教卓についた両手を離し、滑らかな艶のあるスーツの胸元から使い込まれた杖を取り出した。その杖を慣れた手つきでサッと一振りすると、白紙だったページいっぱいに詠唱用の長い文言が浮かび上がる。

「次回の実技授業で追跡魔法の詠唱テストを行う。明日までにそれを覚えて来い。明日以降、そのページはまた白紙に戻る」

 ナルムクツェが出した課題に、講義室内がざわつき始めた。これだけ長い詠唱文言を一日で覚えるのはさすがに無理がある。その上、白紙になってしまっては後で確認もできない。生徒達から不満が出るのは当然だ。

(相変わらず厳し過ぎる! 何考えてんのよ、ほんとに……。先生は一回見ただけで何でも覚えられるからいいけど、普通はこんなのすぐに覚えられないんだからね。ちょっとはこっちのことも考えてよ!)

 エリーは心の中で憎まれ口を叩いていたが、しかしそこでナルムクツェは杖をしまう手をピタリと止め、刺し貫くような目つきで室内全体を睨みつけた。

「何だ? 文句あんのか」

 ざわついていた生徒達がしんと静まり返る。冷たい風が吹いたように感じるのは気のせいだろうか。生徒達は真っ青な顔で、一斉にぶんぶんと首を横に振った。

(まさか、わたしに向けて言ったんじゃないよね。偶然にしても、ほんと怖すぎるんだから……!)

 後ろに座っているはずのエリーでさえ室内の温度が下がったのを感じ、小さい身体をさらに縮めてナルムクツェの視線から逃れた。
 その時だ。再び強烈な眠気に襲われる。

(あ、わたし……やばい、かも)

< 7 / 11 >

この作品をシェア

pagetop