LE CIEL BRILLANT 〜無職29歳、未経験の仕事に挑戦したらジュエリーデザイナーにこっそり溺愛されてました〜

51 後悔

 なんで出勤しちゃったんだろう。

 藍は自分の行動に疑問だった。

 いや、わかっている。休んではいけない、大人ならば出勤しなくては、と思ったからだ。

 それが自分の思い込みだともわかっている。

 派遣時代は急な病欠などは派遣切りの理由になると恐れていた。だから無理してでも出勤していた。その名残だ。

 まあいいいや、と藍は思い直す。今日の終わりに辞めたいって言おう。そのために来たと思えば。

 なんとなく、割れたアクアマリンも持ってきてしまった。持ち歩くのは、もうすっかり習慣づいてしまっていた。

 もっと早く決断するべきだった。そしたらアクアマリンも割れなかったのに。

 悔やんでも悔やみきれない。

 頬に湿布をはっているから、お客さんにびっくりされることもあった。

 ごめんなさい、お客様、店長。もう今日だけだから。

 すでに胸の痛みは消えていた。感じなくなっていた。なにかが壊れ、凍てついたようだった。

 へらへらと笑って過ごす。

 瑠璃も出勤していた。てきぱきと作業をしてはいたが、いつもの精彩さはなかった。

 金曜日に来た眼鏡の婦人がまた現れ、藍の顔をみて驚いていた。

「どうしたの」

「ちょっと転んでしまって」

 下手な嘘だな、と自分でも思う。だが婦人は追及しなかった。

「今日はね、また修理してほしいものを持ってきたの」

 応接ブースに案内すると、婦人はバッグからハンカチに包まれたブローチを取り出した。

「これはカメオですね。すごく素敵です」

「そうそう。シェルカメオよ。アンティークなの」

 カメオとは浮き彫りのことを言う。貝で作られたカメオをシェルカメオ、石で作られたものをストーンカメオといい、その起源は紀元前三世紀だという。

 婦人が持ってきたシェルカメオは、天然の貝が層になっているのを利用して白と褐色(かっしょく)を配置し、美しい女性の横顔を浮かび上がらせている。

 アンティークということは、少なくとも100年前のもの、ということになる。

「金具がこわれちゃって」

 そう言って、ブローチピンの根本がはずれているのを見せる。

「こんなに素敵なの、眠らせておきたくないですよね」

「そうなのよ。彫が深いのに繊細(せんさい)なラインがいいでしょう? 最近はジュエリーショップでは新品のカメオを見ないしね。掘り出し物なの」
 ひとしきり婦人の解説を聞き、藍は純麗や瑶煌に確認しつつ、修理の受付をおこなった。

 こうして新しいことを覚えても、もう役に立つことはないのに。

 虚しい気持ちが広がる。

 だが、一生懸命に笑顔を作って婦人の対応をした。

 帰り際、婦人は困ったような心配そうな顔をして言った。

「泣きそうな顔をしているわ。大丈夫?」

 藍は驚いて婦人の顔を見返す。笑顔を作っているつもりだったのに。

「大丈夫です」

 精一杯微笑んでみせる。

「無理しないでね」

 気遣いの言葉を残し、婦人は帰っていった。

 あのご婦人がカメオを受け取りに来るとき、もう私はここにいない。

 昨日枯れるほど泣いたはずなのに、また涙があふれそうだった。





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