落ちぶれ令嬢として嫁いだら、 黒騎士様の溺愛が待っていました
 右耳の側で、不満そうな音が鳴った。びぃん、と低い弦を弾いたような音だ。鳴き声というより旋律や音階を思わせる、竜の声。

「〝いいの、フィー。竜のお世話自体は好きだから。でも竜の方はそうではないでしょう?〟」

 ぱたぱたと小さな翼をはためかせる竜――フィーに向かって、プラチナはそう答えた。
 顔だけ動かしてフィーの姿を視界に捉え、プラチナは翡翠の目を和ませる。

 フィーは両手で抱えられるほどの小さな竜で、光の当たる角度で青味が強く出る銀色の鱗をまとっている。成竜と違い、鱗がまだ固くなっておらず、指で触れると弾力と滑らかさを感じられる。小さな手足はぬいぐるみのように短く太く、背から生えた翼も形こそコウモリに似ているが、まるまるとした体に比してずいぶん小さい。頭の後ろからまっすぐに生えた二本の角も丸みがあった。

 ぬいぐるみに似たフィーの姿は、見ているだけで心が安らぐ。
 ――すると、フィーがまた低い弦を思わせる音をたてた。今度は先ほどより少し音が高い。説教を意味する音だった。
 フィーは見た目こそとても小さな竜だが、気性や性格までもが幼いわけではない。

 そんな弱気ではいけないぞ、もっと誇りを持て、と怒られたようで、プラチナは微苦笑した。マルヴァや叔父叔母にどれほど罵倒されても、他のメイドに見下されても、もうなんとも思わなくなってしまった。――亡き家族のことを言われたときだけまだ心が揺れるだけだ。

 フィーをなだめるように言葉をかけながら、プラチナは館を出て、広い敷地内を西へ、竜舎の方へ向かった。茜色を帯びた光が地を照らす。
 その光は、十七歳のプラチナの銀の髪をもきらめかせた。まとめた髪を被りもので隠しても、こぼれたわずかな髪が動きに合わせてきらきらと輝く。

 年頃の娘らしい装飾もなく、長い髪を大きな三つ編みにして被りものの中に押し込んでいる。やや小柄で痩せた体がまとうのは、着古された黒の粗いワンピースに前掛けだった。そこに、名家の令嬢であることを見出すことは難しい。唯一まとう装飾といえば、長い銀の睫毛の下に覗く、エメラルドを思わせる翠の目だった。光の当たり方でわずかに青みを帯びる双眸は、大粒の宝石のように輝く。

 プラチナは足早に庭を横切る。夕日に照らされて竜舎が落とす長く大きな影が、庭を横断していた。
 気配を感じ、プラチナは空を見上げた。遙か空――青に色濃い橙色がまじった天空に、悠然と飛んでいく影がある。鳥よりもずっと大きく、隊列もまばらで小さい。一対の大きな主翼の下に、小さな副翼が広がった姿形。扇のように広がった尾。五体ほどが間をあけて飛んでいる。

(陽竜だ)

 この時間帯になると、王都の空を横断していく飛竜型の竜だった。
 このミトロジア王国の名物とも言える光景だ。竜種の生息地はほとんどがミトロジアであり、多くはこの王都付近に集中している。
 ――空には、制限がない。翼を持った竜たちはどこへでも行ける。

(いいな……)

 プラチナは手で目庇を作りながら、去っていく影を見送った。毎日のように見ても飽きない光景だった。

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