ワインとチーズとバレエと教授

【交差する三人】理緒の離脱症状との戦い


理緒は自宅に帰って、一人うなだれていた。

高杉は、そんなふうに自分を見ていたのか…

そんなふうに私を見透かしてレッスンをしていたのか…

高杉先生には申し訳ない気持ちが沸いたが、自分では気づくことが出来なかった。  
毎日筋トレを欠かしたことはないし、レッスンだって誰よりも頑張ったつもりだ。

でも、私は本当はバレエが好きじゃないー
たぶんピアノもだろう…。

自分では今もバレエを愛しているし、
好きじゃないと思ったことはない。

クタクタになりながらも、
最後までやりきった後のレッスンは、
最高に高揚感と多幸感を感じた。
その高揚感と多幸感をまた欲しくて、
バレエにのめり込んで行った。

バレエにのめり込めば、のめり込むほど
その多幸感と高揚感が増していった。
バレエに没頭せずには、いられなかった。
それ自体が、バレエを本当に愛していないことになるのかもしれない。

母親からの虐待。
父親のアル中。
毎日の暴言に暴力ー

売春までさせられ、殴られ、蹴られ、
食べ物も与えられない、
そんな生活を忘れたかった。

何かに向き合うことで、
自分は成長していると思った。

でもそうじゃなく
逃避していたのだと
改めて気付かされると絶望感を感じる。

誠一郎にも
休むように言われたけれど
実行できなかったのは、そのせいだ。

理緒の異型狭心症は、複雑性PTSDから来るものと診断され、大学病院へ送られた。

何事もないふうに装ったが、
きっと誠一郎も、自分が普通でないことに 
気づいていたのだろう。

それにしても、今日のあの診察は
明らかに理緒を挑発していた。

そして、からかってもいた。
そして理緒は、上手く誠一郎に乗せられたと思った。

理緒は、まんまと誠一郎の話術にはまった。
でも、そんな誠一郎に親近感も覚えた。 

藤崎先生のことが好きー

それが、理緒の卒直な想いだった。

いつも、淡々として、クールで、冷たく、
時々理緒を突き放したり、かと思えば、
心配そうで、悲しそうな顔を見せる。

診察室から出るときは、いつもパソコンに向かって
理緒のことなど見向きもしないが、チラッと理緒をいつも見ていてる。
そして理緒と目が合うと、すぐそらす。

時々、理緒に向ける視線が、どこか切なそうで、悲しそうに見えるときがある。
そして、誠一郎の後ろ姿を見ると、あの細い肩に、ものすごい重圧がかかっている事も垣間見れる。
大学病院の教授となれば、多忙であり、医局をまとめるのも仕事である。
そして、臨床も、教育も、研究も行わなくてはらない。
そんな誠一郎の状態を知っているからこそ、
面倒な患者には、なりたくなかった。
それが、なぜか惹かれる誠一郎に、理緒が出来る
精一杯の気遣いだった。
ただ、精神科に行き「大丈夫です」「元気です」「幸せです」と言うことが不自然であることも分かっていた。
それでも誠一郎の手をわずらわせたくなく、気丈に振る舞う自分がいた。

理緒は、しばらく考えた。

休みたくないもし、休んでしまったら、
自分は何をしていいか分からない。

そして過去のこと思い出す。
その時間は一瞬たりとも作りたくない。

やっぱり仕事をしようー
いや、それだとまた
異型狭心症の発作が出たら…

じゃあバレエは?
いや、私は本当はバレエが好きな訳じゃない。

でもやりたい。

やらないより、
やったほうがまだマシだ。

じゃあ、ピアノにしようか?
いや、これもまた、けんしょう炎が完全に治ってない。

やっぱり休むしかないのか…でも休んでる間、
何をしていいのか分からないので、休むこと、それ自体が怖い。

やはり静かにしていると、母親に何をされたかを思い出す。

いや、思い出したくない!
やっぱり何かをしていたい!

理緒はイライラしながら、ワイングラスに赤ワインを注ぎチーズをひとつまみ口にした。
今日はクリームチーズだ。

それも食べ終わり2杯目のワインを注いだ。
今度、口に放り込んだチーズは、ゴーダチーズに変わっていた。

私はどうしたらいいの?
休めばいいの?
休んでしまったあと私はどうなるの?
何もできなくなるの?
何もしなくなるの?
それとも廃人のようになるの?
過去を思い出す時間を、一瞬たりとも作りたくない。

どうしよう…

でも、もう休むしかない。

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