Einsatz─あの日のメロディーを君に─

第25話 三人の関係

 美咲は合唱コンクールの伴奏をずっと練習していたし授業でも弾いていたけれど、指揮はまだ決まっていなかった。特に練習は不要なので早くに決める必要はないけれど、それでも遅い気はしていた。
「先生ー、合唱コンクールの指揮者、誰?」
 美咲は篠山を見かけたときに声をかけた。
「まだ決まってない。気になる?」
「誰でも良いけど……」
 裕人か高井なら良いのにな、と何となく思っていた。裕人は初めは怖かったけれど普通に話せる相手になったし、高井のことも出会った頃は嫌っていたけれど今では特に何とも思わない。

 だから、調理実習のときに新たに班を組み直すことになって高井が一緒になったと知っても特に気にならなかった。違う班になった裕人と侑子もなぜか一緒に作業していた。

 距離が縮んだ気がしているのは、美咲だけではなかったらしい。
 塾で行われる小テストでとんでもない赤点を取ってしまった裕人と高井は居残ることになり、美咲は二人よりは良い点数だったけれど居残りは確定していた。
 授業が終わって他の生徒が帰るのを見送りながら、美咲はノートを広げた。
(あーあーもう……面倒くさい……)
 教室には美咲たちのほかに他校の生徒が二人残っていた。もちろん、全員が静かに復習していた。ドアの外から彩加が覗いていたけれど、彼女は中に入っては来なかった。

 美咲よりも早くに裕人と高井は復習が終わったらしく片付けを始めていた。
「三人、真面目にやるなぁ」
 裕人が言う〝三人〟は美咲と他校の二人だ。
 美咲は早く終わらせて早く帰りたいのに、高井と裕人がうるさくてなかなか進まない。
「おっ! 五組、五組、五組!」
 それは美咲は早くから気づいていた。
「何組?」
 高井はなぜか、他校の生徒に話しかけた。
「え? 組? 学校の?」
「学校で何組?」
 なぜか、学校のクラスを聞いていた。
「三組……」
「三組? と二組? あかんわ」
 五組ではなかったことが残念だったらしい。──美咲も少し期待していたけれど。

「紀伊さんやで紀伊さん、紀伊さんやで紀伊さん、紀……」
 高井はなぜか美咲の名前を言い続けていた。美咲が居残りしていることが不思議だったらしい。美咲は三年になってからは大人しく勉強しているけれど、成績が右肩上がりになったわけではない。
「高井ー、帰ろー。頑張ってな」
 裕人が高井を呼んで帰ろうとするのを、美咲は黙って〝シッシッ〟と追い払っていた。彩加を長らく待たせているし、何より早く終わらせたい。

 けれど美咲は自分から裕人を引き止めてしまうことになる。
「大倉君、何か落ちたで?」
「あっ……えっ……どこ?」
 紙が落ちたのは見たけれど、どこにあるかは見えなかった。探していると、裕人が発見した。
「ごめん、取って……横。椅子の下。ごめんなー、いっつもこんなんや。いっつもこんなんやでな、いっつもこんなんや、いっつもこんなん。いっつも……」
 裕人はそんなことを言い続けていて、
「紀伊さんやで紀伊さん、紀伊さんやで紀伊さん、紀……」
 高井も美咲の名前を言い続けていた。
 それからしばらくして美咲もようやく復習が終わり、待ってくれていた彩加と一緒に駅に向かった。田舎で電車の本数が少ないせいか、高井や裕人と同じ電車だった。


 美咲は柄が悪い江井中学に入学当初は静かに過ごしたいと思っていたけれど、クラスにはいつも変な男子がいた。高井に始まって森尾、裕人、朋之、など。彩加の影響で彼らと関わることが増えて、そしてやがて距離が縮まって、いつかそれは日常になった。三年間を静かに過ごすつもりが、真逆の日々になった。

 何が良くて何が悪いのか、きちんと区別がついていなかった。誰が気になって誰が好きなのかも、わかっていなかった。
 確かなのは、危険物体たちと過ごす時間が楽しかったということ。もちろん、彩加と侑子もだ。危険物体たちは友達にはならなかったけれどそれに近い感覚だったので、三年になってほとんどと別のクラスになったと知ったときはとても寂しかった。
 友人は何人かいたけれど、ごく一部に限られていた。

 それがやっと楽しく思えるようになったのは、裕人と話すようになってからだった。塾も一緒だったからか、二年のときも同じクラスだったからか、美咲が話しかけることも、話しかけられることも増えた。
 美咲にとって彼は、友達のような存在だった。
 いつか侑子が言っていたように、裕人は初対面では取っつきにくい外見をしていた。だから美咲も初めて見たときは少し避けていたけれど、彼のキャラクターを知ってからは仲良くなりたいと思うようになった。そして実際に話すことが増え、彼の友人たち──例えば高井のことも、少しずつ嫌いではなくなっていった。もしかすると裕人は美咲にとって、侑子よりも話しやすい相手だったのかもしれない。

 そんなことが手伝ってか、侑子はこんなことを美咲に聞いてきた。
「美咲ちゃんの好きな人って、大倉君なん?」
 好きか嫌いかと聞かれれば、好きと即答できる。
 けれどそれは単に親しみやすいからであって、異性としてどうかというのとは話が違っていた。
「え? ちゃうってちゃうって」
「やんなぁ? あの……山口君やんな?」

 美咲が好きだったのは、本当に朋之だったのだろうか。
 彼がイケメンなのは、おそらく彼を知るほとんどの女子が認めていたけれど。
 頭が良くて歌が好きで運動神経が良い。親しく関わった記憶は特にないけれど、近くにいるときはだいたい同じ話の輪の中にいた。美咲は意識的に彼を探していた──ということはやはり、美咲は朋之が好きだったのだろうか。それとも、楽しく話せる裕人のほうが好きだったのだろうか。

「侑ちゃんは、K.K.君よなぁ。彩加ちゃんって、好きな人いるんかな?」
「さぁ……。あ──気になる人ならいるみたいやで。でも、美咲ちゃんに言ったら勘違いするから絶対言えへんって言ってた」
「なにそれ? ……どっちかやな、絶対」
「誰やろなぁ……高井ではないやろうけどな」
 美咲と彩加が共通して知っている男子のなかで彩加が好きになりそうな人は、裕人と朋之しかいなかった。学校や塾で同じクラスのときは二人を観察していたし、よく話もしていた。
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