月猫物語『遠いあの日の純恋歌」
そんな丹後原町にも夏がやってきた。 何処かでは朝顔市が話題になっている。
道端の花壇にも朝顔が植えられていて、それを誇らしげに見ているばあさんが居る。
朝も早くから蝉の群れがジージーミンミンと喧しく鳴いている。 玉蔵じいさんは朝から大豆を仕込んで働いている。
「じいさんも制が出るなあ。 今日も美味い豆腐を作ってくれよ。」 「任せときなって。 あんたらの胃袋に惚れ直させるだけの豆腐を作ってやるよ。」
豆腐屋を過ぎてまっすぐ行くと花屋が有る。 その向かいは駄菓子屋だ。
ここの店主は80を過ぎたばあさんでね、今でもレジスターなんて機械は使わない。
小銭を放り込んだ篭を置いてそこから出したり入れたりしながら子供たちと賑やかに話している。 「いいじゃないか。 これね、チーンなんて味気なくて使えやしないよ。」
今日も梅干しばあさんはニコニコしながら店を開けて待っている。 留守の時だって店は開けたままだ。
「なあに。 お金を入れてくれてたらそれでいいんだよ。」 なんとまあ大らかな町だろうね。
東京オリンピック以来、ずいぶんと人は減っちまった。 都会暮らしに憧れた若い連中はさっさと出ていってしまった。
残ったのは年寄りと子育てを終えた中年と売れ残った連中ばかり。
健三は毎朝味噌汁に納豆をぶち込んでそれを飲み干してから家を出る。 バス停までは20分ほど歩くのだがその間には忘れられない思い出がぎっしりと詰まっている。
健三が住んでいるボロアパートの向かいにも古いアパートと長屋が建っている。 長屋は壁が白いから丹後原のホワイトハウスと呼ばれていた。
その長屋は6軒続きで左端が松代の家だった。 親父さんたちが死んだ今でも玄関はそのままにしてある。
いつか松代が戻ってくるかもしれないからってさ。
松代のかあさんは働き者で親父さんが死んだ後は寿司屋で働いていた。 「そろそろゆっくりしたらどうだね?」
70を過ぎた体で動き回っている梅子さんに主人は言うのだが、、、。
「いえねえ、私は外で動いてるほうが体のためにもいいんですよ。」 そう言って笑っていたという。
主人が何度話しても辞めなかったのに「そろそろゆっくりさせてもらおうかな。」と言って家に籠ったら一か月で安心したように逝ってしまった。
(俺には親父が残っている。 松代の親は両方とも逝ってしまった。
親父にはせめて孝行らしい孝行をしたいもんだな。)
そんなことを考えながら今夜も七輪に火を起こすのである。 鰯を焼きながら酒を飲む。
さしもの井戸端会議も終わったと見える。 よくもまああんだけペラペラと話せるもんだなあ。
さっきまで賑わっていた前の通りもすっかり静かになってしまった。
そんな時には通りすがりの奥さんたちに似合わぬ愛嬌を振り撒いていた親父のことを思い出す。 いつだかは若い女を連れ込んで飲んでたっけな。
25,6の少し派手な女だった。 居酒屋で飲んでいて捕まえたんだって言ってたな。
母ちゃんは我慢に我慢して飯を炊いていた。 それでも親父は女とくっ付いて嬉しそうに飲んでたっけ。
でも結局は三日と続かなかった。 女のほうから出ていったんだそうだ。
そりゃあそうなるよなあ。 こんな田舎であんな親父では、、、。
「健三 男っちゅうのは女で決まるんだ。 働いて働いていい女を捕まえるんだ。 出来るか? 健三。」
毎晩飲みながら持論を捲し立てる親父に俺も母ちゃんもほとほと呆れ果てていたのだが、まんざら嘘でもないような気さえしてくる。
事実、あれだけ飲んだくれて毎晩世話を焼かせていた親父には文句も言わず我慢に我慢して付き従っている母ちゃんが居たんだ。
毎日擦り切れたモンペを履いて狭い台所を歩き回っていた母ちゃん。 夏の夕方には西日で噎せ返る台所で飯を炊いていた母ちゃん。
二人揃って大正生まれだったからかな、礼儀とか忠誠とかいうのには殊の外うるさかった。
そんな母ちゃんが逝ってしまって親父は塩茹でした蛸みたいに萎れちまったんだ。 そして今は養老院に入っている。
今は喋ることも少なく窓の外をボーっと眺めていると聞く。 いつか会いに行ってやらねば、、、。
鰯の焼ける匂いを嗅ぎながら七輪の前に座っている。 元気な頃の親父みたいだな。
「さて戴こうか。」 そうそう、我が家では「食べよう。」なんて言わないんだ。
親父も母ちゃんも「ご飯だって野菜だって魚だって天から戴いた物なんだぞ。 食べようなんて生意気なことを言うもんじゃない。 戴こうって言うんだ。」って食事のたびに言ってたっけなあ。
外は少しひんやりした風が吹いている。 さっきまで暑かったのに。
鰯を齧っていると誰かが訪ねてきた。 「健三君は居るかなあ?」
「馬鹿によそよそしいなあ。 いつもは健三健三って言ってくるお前が、、、。」 「嫌なあ、大事な相談が有るんだ。」
この男、健三の古くからの友達で杉田裕作という。 松代とも仲の良かった男だ。
「鰯、美味そうだなあ。」 「500円で食わせてやるぞ。」
「高いなあ。」 「じゃあ母ちゃんに焼いてもらえよ。」
「うちのは魚焼くの苦手だから、、、。」 「しょうがねえなあ。 今晩だけだぞ。」
そう言いながらここで二人は飲み明かすのである。 時には裕作の妻 幸の話も飛び出してくる。
「俺たち ここに住んで何年になるかなあ?」 「生まれたら住んでたから47年くらいじゃないか?」
「でも丹後原って変らないよなあ。」 「いいじゃないか。 変わったらびっくりするよ。」
「それはそうかもしれんが、こうも変わらんのはちっとなあ。」 「不満か? なら町議会議員にでもなって再開発をやらせろよ。」
「いやいや、そこまでは、、、。」 「煮え切らねえ男だなあ。」
今夜も二人して焼酎を飲みながら話し込んでいる。 明け方には土間に二人してぶっ倒れているのだけど、、、。
道端の花壇にも朝顔が植えられていて、それを誇らしげに見ているばあさんが居る。
朝も早くから蝉の群れがジージーミンミンと喧しく鳴いている。 玉蔵じいさんは朝から大豆を仕込んで働いている。
「じいさんも制が出るなあ。 今日も美味い豆腐を作ってくれよ。」 「任せときなって。 あんたらの胃袋に惚れ直させるだけの豆腐を作ってやるよ。」
豆腐屋を過ぎてまっすぐ行くと花屋が有る。 その向かいは駄菓子屋だ。
ここの店主は80を過ぎたばあさんでね、今でもレジスターなんて機械は使わない。
小銭を放り込んだ篭を置いてそこから出したり入れたりしながら子供たちと賑やかに話している。 「いいじゃないか。 これね、チーンなんて味気なくて使えやしないよ。」
今日も梅干しばあさんはニコニコしながら店を開けて待っている。 留守の時だって店は開けたままだ。
「なあに。 お金を入れてくれてたらそれでいいんだよ。」 なんとまあ大らかな町だろうね。
東京オリンピック以来、ずいぶんと人は減っちまった。 都会暮らしに憧れた若い連中はさっさと出ていってしまった。
残ったのは年寄りと子育てを終えた中年と売れ残った連中ばかり。
健三は毎朝味噌汁に納豆をぶち込んでそれを飲み干してから家を出る。 バス停までは20分ほど歩くのだがその間には忘れられない思い出がぎっしりと詰まっている。
健三が住んでいるボロアパートの向かいにも古いアパートと長屋が建っている。 長屋は壁が白いから丹後原のホワイトハウスと呼ばれていた。
その長屋は6軒続きで左端が松代の家だった。 親父さんたちが死んだ今でも玄関はそのままにしてある。
いつか松代が戻ってくるかもしれないからってさ。
松代のかあさんは働き者で親父さんが死んだ後は寿司屋で働いていた。 「そろそろゆっくりしたらどうだね?」
70を過ぎた体で動き回っている梅子さんに主人は言うのだが、、、。
「いえねえ、私は外で動いてるほうが体のためにもいいんですよ。」 そう言って笑っていたという。
主人が何度話しても辞めなかったのに「そろそろゆっくりさせてもらおうかな。」と言って家に籠ったら一か月で安心したように逝ってしまった。
(俺には親父が残っている。 松代の親は両方とも逝ってしまった。
親父にはせめて孝行らしい孝行をしたいもんだな。)
そんなことを考えながら今夜も七輪に火を起こすのである。 鰯を焼きながら酒を飲む。
さしもの井戸端会議も終わったと見える。 よくもまああんだけペラペラと話せるもんだなあ。
さっきまで賑わっていた前の通りもすっかり静かになってしまった。
そんな時には通りすがりの奥さんたちに似合わぬ愛嬌を振り撒いていた親父のことを思い出す。 いつだかは若い女を連れ込んで飲んでたっけな。
25,6の少し派手な女だった。 居酒屋で飲んでいて捕まえたんだって言ってたな。
母ちゃんは我慢に我慢して飯を炊いていた。 それでも親父は女とくっ付いて嬉しそうに飲んでたっけ。
でも結局は三日と続かなかった。 女のほうから出ていったんだそうだ。
そりゃあそうなるよなあ。 こんな田舎であんな親父では、、、。
「健三 男っちゅうのは女で決まるんだ。 働いて働いていい女を捕まえるんだ。 出来るか? 健三。」
毎晩飲みながら持論を捲し立てる親父に俺も母ちゃんもほとほと呆れ果てていたのだが、まんざら嘘でもないような気さえしてくる。
事実、あれだけ飲んだくれて毎晩世話を焼かせていた親父には文句も言わず我慢に我慢して付き従っている母ちゃんが居たんだ。
毎日擦り切れたモンペを履いて狭い台所を歩き回っていた母ちゃん。 夏の夕方には西日で噎せ返る台所で飯を炊いていた母ちゃん。
二人揃って大正生まれだったからかな、礼儀とか忠誠とかいうのには殊の外うるさかった。
そんな母ちゃんが逝ってしまって親父は塩茹でした蛸みたいに萎れちまったんだ。 そして今は養老院に入っている。
今は喋ることも少なく窓の外をボーっと眺めていると聞く。 いつか会いに行ってやらねば、、、。
鰯の焼ける匂いを嗅ぎながら七輪の前に座っている。 元気な頃の親父みたいだな。
「さて戴こうか。」 そうそう、我が家では「食べよう。」なんて言わないんだ。
親父も母ちゃんも「ご飯だって野菜だって魚だって天から戴いた物なんだぞ。 食べようなんて生意気なことを言うもんじゃない。 戴こうって言うんだ。」って食事のたびに言ってたっけなあ。
外は少しひんやりした風が吹いている。 さっきまで暑かったのに。
鰯を齧っていると誰かが訪ねてきた。 「健三君は居るかなあ?」
「馬鹿によそよそしいなあ。 いつもは健三健三って言ってくるお前が、、、。」 「嫌なあ、大事な相談が有るんだ。」
この男、健三の古くからの友達で杉田裕作という。 松代とも仲の良かった男だ。
「鰯、美味そうだなあ。」 「500円で食わせてやるぞ。」
「高いなあ。」 「じゃあ母ちゃんに焼いてもらえよ。」
「うちのは魚焼くの苦手だから、、、。」 「しょうがねえなあ。 今晩だけだぞ。」
そう言いながらここで二人は飲み明かすのである。 時には裕作の妻 幸の話も飛び出してくる。
「俺たち ここに住んで何年になるかなあ?」 「生まれたら住んでたから47年くらいじゃないか?」
「でも丹後原って変らないよなあ。」 「いいじゃないか。 変わったらびっくりするよ。」
「それはそうかもしれんが、こうも変わらんのはちっとなあ。」 「不満か? なら町議会議員にでもなって再開発をやらせろよ。」
「いやいや、そこまでは、、、。」 「煮え切らねえ男だなあ。」
今夜も二人して焼酎を飲みながら話し込んでいる。 明け方には土間に二人してぶっ倒れているのだけど、、、。