二人でお酒を飲みたいね。
 翌朝、尚子は俺が寝ている間にそっと家を出て行った。 あの日のように朝食を作ってね。
そして俺はいつものように目を覚まして朝食を食べる。 支度を済ませると何食わぬ顔で会社へ、、、。
玄関を入ると「おはようございまあす!」って尚子の声が聞こえた。
「おはよう。」 軽く手を上げてから部屋に入る。 いつもと同じ風景でいつもと同じ顔が並んでいる。
「さあて、金曜日だ。 今日も頑張るか。」 「気合入ってますねえ。 何課いいこと有ったんですか?」
「特にこれといって無いよ。 あはは。」 「気になるなあ。 最近の高木さん 楽しそうだもん。」
「そりゃさあ、楽しくしてないとつまんないよ。」 「彼女でも?」
「さあねえ。」 「居るんだな。 若い子でしょう?」
「ご想像にお任せします。 さあやるぞ。」
なんだか今日はいつもより気合が入っている。 週末だからかな?

 「今日もメールがいっぱい来てるなあ。」 「いつものことです。」
「おいおい、テンション下げるんじゃないよ。」 「すいませんねえ。」
橿原幸も今日は忙しそう。 打ち合わせとか何とかやるらしい。
営業部も尻を叩かれたのか、朝から走り回っている。 先代の頃に戻りつつあるのかなあ?
 人事部の谷崎芳江が入ってきた。 「おはようございまあす。 高木さん お話してもいいですか?」
「俺はいつでもいいよ。」 「実はね、私辞めることにしたんです。」
「何だい、いきなり。」 「どうもね、社長とうまくいかなくて。」
「それは残念だなあ。 谷崎さんくらい社長に物を言える人は居ないのに。」
「だからね、私を営業部に移動させることにしたんだって。」 「あらま、そうだったの?」
「あんまりにも悔しいから辞表を出してきちゃった。 それで今夜にでも高木さんと飲みたいなと思って。」
「なんかさあ、辞める人ってみんな俺と飲みたがるんだよね。 何でだい?」 「何でも聞いてくれるからじゃないんですか?」
それを聞いた時、(もしかして尚子もか?)って俺は思った。
 「飲むのはいいけど、何処で飲む?」 「駅前のさあ、丸一なんてどうです?」
「また丸一か、、、。」 「何か?」
「いや、何でもない。 オッケーだよ。」 「じゃあ仕事が終わったら行きましょうね。」
この頃はよく丸一に行くなあ。 しかも相手は女ばかり。
そろそろ遊び人に見られてないか? 三人目だもんな。
 複雑な思いを抱えたまま、午前中の仕事を終わらせる。 昼はまたまた尚子と一緒だ。
「谷崎さんも辞めるんですってね?」 「聞いたのか?」
「情報はすぐに伝わります。 だからって浮気しないでくださいね。」
「おいおい、それは無いよ。」 「高木さんのことだから無いとは思うけど、、、。」
「心配なの?」 「だって好きなんだもん。 気になるわよ。」
「浮気は無いなあ。 だって谷崎さんには旦那が居るし、、、。」 「そっか。 じゃあ安心だ。」
でも最近はダブル不倫も平気な世の中、、、。 何が起きるか分からない。
余程に用心してないと足を掬われてしまう。 危ない時代だなあ。
珍しく尚子がリボンを巻いている。 娘に戻ったのかな?
「気になりますか?」 「何が?」
「さっきからリボンを見てるでしょう?」 やばい、気付かれてる。
「幸せ色のリボンです。 可愛いでしょう?」 「お似合いだよ。」
「良かった。 褒めてもらえた。」 尚子ははしゃいでいる。
やっぱりさ、どっか今までとは違うんだよな。 吹っ切れたって感じ。
店を出ると裏通りへ回った。 「しばらく歩きましょう。」
この辺なら他の社員と会うことも無い。 だって警察とか弁護士の事務所とか固い建物ばかり並んでいるから。
表通りとは違う顔なんだよね。 パトカーもよく走ってるし、、、。
さっきから尚子は俺にくっ付いている。 「この辺は怖いから。」
(じゃあ歩くなよ。)って思うけど、それを言い訳にしてくっ付いてるんだよね?
手を握ってみる。 年甲斐も無く萌えてしまう。
(この年でデートか。) 「高木さん 何恥ずかしがってるんですか? この年でって思ったでしょう?」
「何で分かるの?」 「顔に書いてあります。 そんな年じゃないだろうって。」
見抜かれてしまっている。 成す術無しか。
 昼休みの間、ブラブラと歩き回っている。 たまにはいいか。
猛スピードで駆け抜けていく車が居る。 煙草を吹かしながら歩いているおっさんが居る。
どっかの野良犬が昼寝をしている。 平和な町だな。
 歩き疲れた俺たちは喫茶店に入った。 こんなことも珍しい。
「こんな所に喫茶店が、、、。」 「私はよく来てましたよ。」
「何でも分かってるねえ。」 「流行にうるさい女ですから。」
のんびりとコーヒーを飲みながら過ごしている。 話すことも無い。
いつもうるさいくらいに話してるのだからこんな時間もいいな。
 玄関脇にはカッコウの置時計が有る。 時間になるとカッコウが飛び出してくるらしい。
それを目当てにやってくるお客さんも居るんだって。
 「うちの会社にもショールームくらい欲しいな。」 「ショールーム?」
「そうそう。 前を歩いている人だってたくさん居るんだから訪問だけじゃなくて会社でも売れるようにしてほしいの。」
「前にもそんな話は有ったんだよ。 でも揉み消されちゃってね、、、。」 「揉み消されたんですか? ひどーい。」
「先代は賛成してたんだよ。 でもね、、、。」 「そっか。 代替わりしたら会社の方針も変わっちゃいますからね。」
尚子は何処となく不満そうだ。 間もなく1時になった。
「さて戻るかな。」 「そうですねえ。 戻らないと何を言われるか、、、。」
尚子も速足である。 玄関を入ると無言で部屋に戻っていった。

 午後は午前中よりもさらに暇である。 俺はコーヒーを飲みながら窓の外を見ている。
すると、、、。 ドターンという大きな音がした。
「何だ?」 ハッとしてそちらのほうを見ると一人の男が倒れている。
「おいおい、あいつは何をしてるんだ?」 同室の数人を連れて飛び出したまではいいが、前の通りは大騒ぎである。
「おい! 救急車だ! 救急車を呼べ!」 「人が落ちたぞ! 関係者を呼べ!」
「何をやってるんだ? 飛び降りたぞ!」 通り掛かった人たちが口々に叫んでいる。
社内からも社員たちが飛び出して現場を取り囲んでいる。 「吉沢君じゃないか。 管理部を呼べ!」
数分と経たないうちに大混乱である。 しばらくして救急車と警察がやってきた。
やがて男には毛布が掛けられ、辺りは立ち入り禁止区域に指定された。 「これじゃあ動けないな。」
 監理部を中心にして事情聴取も始まった。 「他の皆さんはチェックが終わり次第、現場を離れてください。」
警察官の一人が社員を集めて指示した。 「数日は現場を保存しますからね。」
「ということは来週半ばまで営業できないということだ。 えらいこった。」 古株の一人が溜息を吐いた。
「だからって何で吉沢が、、、?」 監理部副部長の新谷英二が眉を顰めている。
「何か有ったのか?」 「何も聞いてないが、、、。」
「でも吉沢君は飛び降りたんだ。 何か有ったはずだよ。」
「周辺を調べてみようか。」 斉藤雄介も重苦しい顔である。
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