二人でお酒を飲みたいね。
 康子は台所に立つと尚子が好きだった酢の物を作ってきた。 「これをあげて。」
骨壺の前に酢の物を入れた小鉢を置く。 「食べたかったでしょう? いっぱい食べてね。」
手を合わせてから康子はまた立ち上がる。 「私たちも夕食を食べましょうか。」
そう言って包丁を握る。 あの日のように料理を作っている。
俺は康子の後姿を見ながら思った。 復縁しようと。
尚子が死んだ後だから口には出さないが、確かに康子を求めている。 あの日以上にね。
でも康子は子宮癌だと言っていた。 どれほどの物なのか分からないが、、、。
「お医者さんの話だとまだまだ初期なんだって。」 そう笑っている割には元気が無い。
気のせいかとも思ったが、そうでもないらしい。

 康子を手伝いながら細くなった腕を見た俺はドキッとした。
「細くなったなあ。」 「可愛いでしょう?」
「可愛いっていうより大丈夫なのか?」 「心配してくれてるの?」
「そりゃそうさ。 一度は嫁さんにした人なんだから。」 「そうねえ。 喜んでいいのかなあ?」
「なんで?」 
だって私は癌なのよ。 知ってた?」 「癌でも何でもいいよ。 傍に居てくれたら。」
「居るだけでいいの?」 「出来れば再婚したい。」
「ほんとに?」 「そうだよ。 やっぱり康子以上に誰も好きになれなくて。」
「四十九日が過ぎるまで返事は待ってね。」 「分かった。」
そしてあの日のようにテーブルを挟んで向かい合うのである。
 「ねえ、尚子さんとさあ何回くらいエッチしたの?」 「グ、、、。」
「あらあら、悪かった?」 「いやいや、いきなり聞いてくるものだから、、、。」
「ごめんなさいね。 気になっちゃって。」 「そんなにはやってないよ。」
「そうなんだ、、、。 あれだけ愛されてたのに?」 「正面切って付き合ってたわけでもないからさ。」
「へえ、不倫?」 「どっちも相手は居ないんだ。 不倫でも何でもないよ。」
「でもさあ、あなたの心の中には私が居たのよね?」 「あ、ああ。」
「じゃあやっぱり不倫じゃないよ。 あなたはやっぱりダメなのねえ。」 「何が?」
「私のことを忘れられないのに尚子さんに手を出したんでしょう? 悪い人だわ。」 「う、、、。」
「他の人に手を出すんなら私のことなんて忘れてからにして。 尚子さんみたいに苦しめないで。」 「分かった。」
黙り込んだまま、揃って骨壺に目をやる。 「よくぞ言ってくれました。」
尚子がそう言って笑ったような気がした。

 さてさて、もう6月である。 社内では14日の慰霊祭に向けて準備が始まった。
「四人分だぞ。 忘れるなよ。」 式次第を任された高岡悠馬が栄田と話している。
「あいつとこいつとそいつとあれ、、、ね。」 「あれって何だよ あれって。」
「あれって、、、尚子ちゃんだよ。」 「うわーーー、あんな美人をあれだってーーーー。」
「何々? あれがどうしたの?」 「ほらバカ、柳田さんに聞かれただろうがよ。」
「ねえねえ、栄田さん あれってなあに?」 「何でもないっす。 社長室に行ってきまーす。」
「んもう、、、これだからなあ。」 「どうしたの?」
「栄田さんがさあ、何か隠し事をしてるのよ。」 「隠し事?」
「あれとか何とか言って。」 「じゃあ、俺から聞いておくよ。」
「頼むわ。 ああ忙しい。」 初枝は会場の設定を任されているのだ。
沼井もなんとか気を取り直して指揮しているようだし、まあなんとかなりそうかな。
 俺はというと吉沢や藤沢、それに尚子たちと親しかった人たちへ招待状を発送しようとしているのだが、、、。
住所が変わっていたり、名前が変わっていたりでうまくいかない。
返送されてきた封書を見ながら溜息を吐く毎日である。 「尚子ちゃんにでもお願いしたら?」
「お願い?」 「そうそう。 迷わずに招待させてくれって。」
「子供じゃないんだから、、、。」 「尚子ちゃんだったら聞いてくれると思うなあ。」
河井は重ねられた封書を見ながら笑って見せた。 「お願いか、、、。」
実際、お願いでも何でもしたい気分である。 尚子の写真の前にお茶の湯飲みと封書を置いてみた。
そうでもしないと来客が一人も来ないような気がして、、、。

 その日の夜、久しぶりに栄田が俺の家にやってきた。 「こんばんはーーーーー。 高木さんは居るかなあ?」
「あらあら、誰でしたっけ?」 「栄田です。」
「そうそう。 栄田さんだった。 どうぞ。」 「康子さんでしたよね?」
「あらあら、覚えてくれてたんですか?」 「高木さんと一緒なんだもん。 忘れませんよ。 ところで彼は?」
「今ね、買い物に行ってるんです。 栄田が来るから飲むんだって。」 「じゃあ俺も手伝ってきますよ。」
そう言って栄田は家を出て行った。 すると珍しく沼井がやってきた。
「こんばんは。」 「はーい。 えっと、、、どちらさんで?」
「社長の沼井です。 たまには寄ろうかと思いまして、、、。」 「あらあら、ご丁寧に。」
 今に通された沼井は床の間に置かれた尚子の骨壺に手を合わせてから向き直った。
「お茶 入れますね。」 康子も妻らしく振舞ってくれている。
沼井と康子が話している所へ二人が賑やかに帰ってきた。 「おー、社長も来てたんですか?」
「たまには手を合わせようと思ってね。」 「じゃあ四人で乾杯だ。」
 俺はグラスを取りながらまた尚子のことを思い出してしまった。 キャミも着てたんだっけな。
「あれあれ? 尚子ちゃん もしかして今夜やる気?」 「何を?」
「エ、ッ、チだよ。 エ、ッ、チ。」 「嫌だなあ。 そんなんじゃないから。」
「準備万端じゃない。 ねえ。」 「もう。 柳田さんまで、、、。」
ビールを飲みながら真っ赤になる尚子を見詰めながら俺も飲んでたんだっけな。 「シシャモ 焼けたわよ。」
康子が大きなシシャモを俺の皿に載せた。 「特注だなあ。」
「そうか?」 「おらおら、卵が入ってる。 牝だわな。」
「美味そうだなあ。」 「沼井さんにも有りますからね。」
康子は新しいシシャモをコンロの上に載せた。
 「尚子ちゃんもシシャモ好きだったよな。」 「ええ。 丸一で飲んだ時には必ずシシャモを食べてました。」
「じゃあ一匹、、、。」 栄田が焼けたばかりのシシャモを骨壺の前に置く。
酔ってくると沼井は社歌を歌い始めた。

 朝の挨拶 元気良く、夕べの別れも爽やかに。
明るい声でお客さん お一つ如何と丈比べ。

 なんとまあ創業当時から歌われてきたこの歌を最近は誰も歌わなくなっていることに気付いた。
「この歌、誰も歌わないよな 最近は。」 「歌ってる暇なんて無かったからさ。」
「慰霊祭をきっかけにリニューアルしましょうよ。」 「リニューアル?」
「そうそう。 河井の友達で作詞もやる三浦って男が居るんです。 その人に詩を書いてもらうんですよ。」
「そうか。 それはいいかもな。 出来れば曲も新しくしたいんだが、、、。」 「いいでしょう。 河井から頼んでもらいますよ。」
 シシャモを食べながら今夜の沼井はご機嫌だった。 帰りにも康子の手を握って「高木君をよろしく頼みましたよ。」って念を押していたらしい。
 酔ってしまった俺たちは寝室の布団の中で絡み合っている。 あの時みたいに。
そして俺は久しぶりに何もかも奪い尽くす思いで康子を抱いた。
 翌日、俺はまた相談室の椅子に座ってテレビを見ている。 トントントン。
誰かがノックした。 「はーい。」
ドアを開けて入ってきたのは、、、。 「尚子、、、。」
いや、そんなはずは無い。 尚子は死んでいるんだ。
うちに骨壺も安置してある。 目の前の影はゆらりと揺れて消えて行った。
俺は再びテレビに目をやった。 (今のは何だったんだろう?)
尚子が何かを言いに来たのか? それとも?

 トントントン。 またドアを叩く音が聞こえた。
「はーい。」 「高木さん、、、、。」
疲れた顔で入ってきたのは初枝だった。 「どうしたの?」
「事務室の前を歩いていたらいきなり蛍光灯が点いたり消えたりしてさ、、、。 それでびっくりしちゃって。」 「柳田さんもかい?」
「何か有ったの?」 「さっきね、ドアをノックする人が居て、、、。 入ってきたと思ったらスーッと消えちゃったんだよ。」
「尚子ちゃんね。 何か言いに来たんじゃないの?」 「そう思って考えてるんだけど、、、。」
「考えてたって分からないわよ。 栄田さんたちにも聞いてみましょうか。」 「そうだね。」
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