角砂糖が溶けるように
第6章

6-1 出せない答え

 嫌いだと思ったことは一度もなかった。
 もしそうなら、ここまで仲良くなっていないと思う。
 けれど実際、好きと言われ──答えは出なかった。
 麻奈美のことは、高校の時から知っていた。ただ、あの頃は話を聞くだけで、実際に会ったのは麻奈美が高校に入学してからだ。
 平太郎に道を正してもらってから芝原は普通の、むしろ良く出来た青年に変わった。平太郎には感謝しているし、麻奈美と対面できたことも嬉しく思う。話では小学校低学年で止まっていた麻奈美は、いつの間にか高校生になっていた。
 教師になるために勉強している芝原を、麻奈美はずっと見ていた。
 最初はいくらか愛想が悪かったかもしれない。
 大夢を手伝っているのが誰なのか知らなかったからだ──何回か会ううちに、麻奈美だと思うようになった。
「何を難しい顔をしてるんだ?」
「あ──いえ、何でもないです」
 いつもの指定席で久々に勉強していた芝原の右手は、長い間止まっていた。左手では本を開いて押さえながら、違うところを見ていた。勉強に関係のないことを考えていたのは、一目瞭然だ。
「麻奈美のことを考えてたんじゃないのか?」
「どうして、ですか?」
「なんとなくだ」
 麻奈美とは昨日、ここで話をした。特別なことはない、今までと何も変わらない、他愛もない話だった。文化祭が近付いているそうで、準備が大変だと言っていた。
「そうだ、昨日、君が帰ってから、修二君が来たんだよ」
「しゅうじ君……って、確か、麻奈美ちゃんの」
「そう。その修二君だ──君に会いたい、ってね」
「僕に? どうして……」
「今年も麻奈美のクラスメイトなんだが」
 平太郎のその言葉に、芝原はピンときた。
 嫌な予感がして顔をしかめたが、平太郎は笑った。
「そう強張るな。麻奈美が言ったそうだよ、教育実習で来た芝原はここの常連だって。それから……修二君は、麻奈美を諦めたそうだ」
「諦めた……って、何かあったんですか?」
「──あの日、君は麻奈美に言われたんじゃないのか?」
 平太郎は芝原をじっと見つめた。
 麻奈美が芝原に告白したことは、すでに平太郎に知られていた。
「修二君は、君には敵わないと思ったんだろうな」
「でも、僕は何も……」
「だから最近、麻奈美の様子がおかしいんだろう。どっちとも答えてないからな」
 麻奈美のことは、嫌いではない。嫌いなはずがない。
 けれど、麻奈美は芝原にとって──。
「ずっと、考えてるんです。どうすればいいのか」
「麻奈美が泣かなければ、それで良い」
 そう簡単に、答えは出ない。
 けれど答えを出すのを先延ばしにする分だけ、麻奈美を傷つける。
「君は、気になる人がいるんだったな」
「──はい」
「それなら、どうするんだ? ダメならダメと言ってやれ」
「いえ、それは、言えません。そんなことを言ったら、麻奈美ちゃんが泣くだけです。もう、僕のせいで泣かせるのは、嫌です」
 麻奈美が泣くところは、もう見たくない。
 しかし、芝原が麻奈美に答えを出さないのは、泣かせるのとあまり変わらない。
 断って、麻奈美が傷ついて、大夢にも顔を出せなくなる。それは絶対に避けたかったし、断る理由はなかった。何より芝原には彼女はいないし、麻奈美のことは好きなのだ。
 だからと言って麻奈美を受け入れることも、芝原には出来なかった。
「ほんとに、いつまでも世話が焼けるな」
「すみません……」
「もうそろそろ、麻奈美が来る。その顔、直しておきなさい」
「はい……」
 芝原は一度背筋を伸ばし、思いっきり伸びをした。
 目をぎゅっと閉じて気持ちを切り替え、再び目を開けた。完全に元通り、とはまだ言えないが、少なくとも麻奈美のことで悩んでいる顔からは抜け出せたはずだ。
 カランコロン……
 平太郎の言った通り、麻奈美はそれからすぐにやってきた。
 けれどいつものような元気はなく、心なしかぐったりしていた。
「どうしたんだ麻奈美、疲れてるのか?」
 指定席に座る芝原には「こんにちは」と軽く挨拶をし、麻奈美はそのままカウンター席に座った。そして平太郎に水を求め、一口飲んでから口を開いた。
「もう、文化祭の準備で疲れたよ」
「今年は何をやるんだ?」
「お化け屋敷だって。教室中の電気を消して、黒く塗った段ボールで外が見えないようにして、お化け作ったり小道具作ったり、大変だよ」
「麻奈美は何の係なんだ? オバケか?」
「違うよ、お化けはだいたい、人が来たら勝手に出てくるように仕掛けするんだって。あ、でも、一人だけ、幽霊に化けて待機するって言ってたなぁ」
「それが麻奈美か?」
「だから、違うって! 私は、受付だよ」
 それは面白くないな、と言いながら平太郎は笑い、麻奈美に準備をしてくるように促した。けれど麻奈美はすぐには従わず、芝原に近寄った。
「ねぇ、芝原さん」
「なに?」
「先生が言ってたんですけど、来るって、本当ですか?」
「あ──うん。だいたい毎年、そういう決まりなんだよ。招待されなくても、もともと今年は行くつもりだったんだけどね」
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