角砂糖が溶けるように

7-3 昼休みの出来事

 修二が言っていたことが気になって、麻奈美は午前中、授業に集中できなかった。
 芝原には好きな人がいるのは、もちろん知っている。
 仲良くしている麻奈美でさえ、受け入れてもらえない。
 だから今回も、芝原は相手にしないだろうと信じていた。
 けれど、麻奈美はずっと落ち着かなかった。何度も時計を見てみたり、溜息をついてみたり。
「麻奈美ちゃん、ここ、シワ寄ってるよ」
 昼休み、お弁当を食べながら、千秋が麻奈美の眉間を指で押した。
「気になるんだったら、行ってくれば?」
「行くって、どこに?」
「先生のところ。何か用事作って喋ってれば? 今ならまだ、捕まってないと思うよ」
 出来るならば、そうしたい。
「でも、私が行っても、怪しまれるだけだし……あーっ!」
 短めに叫んで口を開けたまま、麻奈美は顔を歪めた。
「今日のテストの採点って、終わってるのかな」
「さぁ。でも、次の授業で返却って言ってたし、終わってるかも。明日だもん」
「明日……明日かぁ……」
 麻奈美はがっくりと肩を落とし、視線を床よりはるか向こうへ向けた。
「なんで先生なんだろう。偶然なのかな」
 芝原が人生の大半を過ごした場所に麻奈美は通い、平太郎を通じて仲良くなった。もし芝原が教師になっていなかったら、今とは違う関係になっていただろうか。
「考えても仕方ないよ。信じてあげれば? 前みたいに」
「信じるって、相手にしないって? でも、信じたって、先生には、好きな人がいるんだから……」
「麻奈美ちゃんらしくないよ。そのことは気にしないって、決めたんじゃなかったの?」
「うん──決めたよ。じゃ、行ってくるね」
 笑顔で言ってから空になった弁当箱を片づけ、麻奈美は立ち上がった。
「おーい、麻奈美ーっ!」
 突然、修二の叫び声がして、麻奈美は一瞬、身構えた。
「何よ、いきなり……私これから職員室に」
「それならちょうど良かった、俺も行くから一緒に」
「だからって、私は関係ないんじゃないの?」
「大ありなんだよ! あっ、松田さん、こいつ借りてくな!」
 嫌がる麻奈美を引っ張って、修二は走り出した。

 取り残された千秋は、しばらく二人が向かった先を見つめていた。
「松田さん」
「はい?」
 話しかけてきたのは、クラスの男子生徒だった。特に仲が良いわけではないけれど、名前くらいは知っている。どちらかといえば人気者、だろうか。
「あいつら──川瀬さんと片平って、付き合ってんの?」
「え? ううん。ただの幼馴染だって」
「ふーん。……片平は好きそうだけどな」
「ははは。ずっと、麻奈美ちゃんのストーカーしてたんだよ。最近は諦めたっぽいけど」
 千秋は無意識にそう言った。
 その言葉を、男子生徒・城井(しろい)は聞き逃さなかった。
「してた、ってことは、今は、してない?」
「ああ──うん」
「なんで?」
「なんで、って、それは、私からは言えないよ」
「川瀬さんて、彼氏いる?」
「ううん。好きな人はいるみたいだけど」
 千秋は何となく思っていた。
 もしかすると、彼は麻奈美が好きなのだろうかと──そしてそれは、正解だった。城井は机に両手をつき、溜息をついていた。
「やっぱ、女子はみんな芝原先生が良いのか……」
「そう、みたいだね……」
「なんでかなぁ。昔はそんな、良い人じゃなかったのに」
「かっこいいからじゃない? それに、今は真面目だし。先生だし」
「女子は先生を好きになりやすいって、本当?」
「ま、まぁ、そうかな」
 千秋には芝原が好きという感情はないけれど、ほかの女子生徒たちがそう言う気持ちは、なんとなくわかっていた。もし自分に彼氏がいなかったら、きっと同じだった。
「でも、麻奈美ちゃんはもっと前から──」
 言いかけて、千秋は慌てて口をふさいだ。
 それを見て城井は、千秋に向き直った。
「もっと前からって、どういうこと? あっ、もしかして、川瀬さんが好きなのって、芝原先生? あそこが付き合ってんの?」
「ちっ、違うから! 麻奈美ちゃんは彼氏いないよ、本当に」
「絶対?」
「うん。絶対」
「じゃ、もっと前から、って何?」
 もっと前から麻奈美は芝原を知っていた、と言って良いのだろうか。
 それは、いけない。
 麻奈美の許可なしに、言ってはいけない。
「麻奈美ちゃんは、もっと前から……先生が着任するもっと前から、好きな人がいるんだよ。片平君は幼馴染だから、その人のことも知ってて、麻奈美ちゃんを諦めて応援に回ったんだって」
 嘘はついていない。
 城井から視線を外さずに言ったおかげか、彼も千秋の言葉を信じた。
「じゃ、その人と付き合う予定は?」
「……麻奈美ちゃんはそうしたいんだろうけど、難しいと思うよ。何回も告白したのに、全然受け入れてもらえないんだって」
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