角砂糖が溶けるように

1-5 窓際の席

 季節は春から夏になり、星城学園高等部では二泊三日の宿泊研修が予定されていた。大まかに言えば『クラスメイトと寝食を共にすることで絆を深める』ことが目的とされている。ちょうど教育実習の大学生が来ていたので、一年生担当の数人は一緒に出かけることになっている。

「面倒だなぁ。なんでわざわざ山ん中……」

 男女六人のグループを作っておくように担任から言われたとき、修二は真っ先に麻奈美のところへやってきた。一瞬、お断りしようかと思ったが、彼が連れていた他の二人の男の子がまあまあ格好良かったので、芳恵の希望もあって同じ班になった。

 修二は、椅子の背にもたれ、頭の後ろで両手を組んでいた。相変わらず麻奈美に絡んでくるが、麻奈美も相変わらず彼の相手をしない。それどころか、前より冷たくなっているような気さえする。せっかく宿泊研修という非日常で行動を共にできるという喜びを得た修二だが、今回も上手くはいかない気がしていた。

「ねぇ麻奈美ちゃん、さっきからどうしたの?」
 下校準備をしながら、千秋が聞いた。
「最近、よくぼーっとしてるよね。あっ、さては彼氏でも出来た?」
 芳恵は一瞬、心配しかけたが、後半になって麻奈美に詰め寄った。
 麻奈美が最近、前より修二に冷たいのは、彼氏ができたからなのだろうか。
 もしくは、今までにない、良い男に出会ったのだろうか。

 けれど麻奈美は、その考えを否定した。
「ち、違うよ。そんなんじゃないよ」
 あわてて両手を左右に振るが、顔はほんのり紅くなっている。
「本当~? じゃあどうしたの? 悩み事?」
「ううん……」

 友人たちの質問に曖昧な返事をする麻奈美の焦点は定まっていない。首をいろんな方向に振っているけれど、目はついていっていない。
「言いたくないなら良いけど、一人で悩んじゃダメだよ?」
「うん。ありがとう。大丈夫」

 麻奈美が考えているのは、もちろん大夢の男性客のことだった。
 あの日、芝原颯太という名前を教えてもらってからも彼は店に来ているが、麻奈美との関係は全く変化がない。いつものように奥の席につき、書類を見ながらコーヒーを飲んでいる。平太郎にも改めて彼のことを聞いてみたが、やはり答えははぐらかされた。

 いったい、どこで出会ったのか。
 いったい、どういう関係なのか。
 どこでどうして麻奈美のことを知ったのか。

 芝原に直接聞きたいが、麻奈美にはまだそんな勇気はなかったし、そんな機会もなかった。なにより、お客様のプライベートに関わってはいけない……。

 けれど、一方的に知られているのも良い気分ではなかった。
 こわい、というより、不気味、というほうが相応しいだろうか。

(でも悪い人には思えないしなぁ……おじいちゃんもなんで教えてくれないのかな。関わったらダメな人? でも、それなら店に来ないよね……)

 いつものようにあまり客のいない店内で、宿題をしながら麻奈美は頬杖をついていた。もちろん、芝原のことに頭が集中してしまっていて、宿題は進んでいない。

「麻奈美、仕事だよ」
 平太郎に渡されたのは、見覚えのあるもの──麻奈美が『芝原セット』と勝手に呼んでいる、水、おしぼり、コーヒー、ミルク。夕方に来るときはこの四点だが、ごく稀に昼過ぎに来ることがある。そのときは、トーストやサンドイッチが一緒に乗っているが、今日はそれはない。

 お盆を持ったまましばらく動けずにいると、
「わけがわからないっていう顔してるな」
 隣で平太郎が、ふっ、と笑った。
「あいつは今、大学生だ。勉強する場所を提供してやってるんだよ」
「勉強?」
「家では落ちついて出来ないらしくてね」
 麻奈美が知りたかったのは平太郎と芝原の関係だったが、それを言う前に平太郎は他の客の注文を聞きにいった。麻奈美に『それ以上は言わない』と言っているようにも見えた。
(まぁ、いっか)

 『芝原セット』をテーブルに運んだとき、芝原の書類に目がとまった。
 しかし、麻奈美には理解のできない言葉が並んでいたので、読むのはやめた。

「難しそう……」
 麻奈美のつぶやきに、芝原は顔を上げた。
「あっ、ごめんなさい、邪魔しちゃって」
「いや、いいよ。ちょうど煮詰まってたとこだから」
 持っていたペンを置いて、芝原は窓の外を見た。

 表通りからは少しだけ路地に入っているので人通りは少ない。そのぶん、店先に小さな庭をつくって、植物を育てている。今は朝顔が窓際にツタを伸ばし、ちょうど良い日よけになっている。

「勉強、頑張ってくださいね」
「ありがとう」
 麻奈美は小さく頭を下げ、カウンターに戻った。
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