角砂糖が溶けるように

★浅岡サイド …Sweet harmony

 5年前と、ほとんど何も変わっていない。
 家具は落ち着いた栗色に統一されて、静かにジャズやクラシックが流れている店内。
 カウンターの奥では平太郎が自慢のコーヒーを入れていて、それを待ちながら彼の幼馴染・チヨと三郎が昔話に花を咲かせている。

 ただ1つだけ違っているのは──。

「お待たせしました」
「わぁ、やっぱり、良い匂い! それにこのケーキも可愛い!」

 平太郎の手伝いをしていた麻奈美は社会人になり、大夢で本格的に働くようになった。
 専門学校でケーキ作りの腕を磨き、麻奈美が考えたデザートもメニューに増えた。

「これ、期間限定なんです。先生が帰って来たから、日本らしいもの食べてもらいたくて」
「ありがとう。春らしくて……食べるの勿体ないね」


 丸ごと桜もんぶらん──。
 ピンクのクリームに桜の花びらが飾られていて、スポンジの生地底から覆うように葉っぱも付いていて。見た目は桜もち。
 ピンクのクリームは苺味で、中には桜風味の生クリームに、中心は和菓子にお決まりのこし餡。

 何が丸ごとなんだろう、甘いものが重なっているからどうだろう、と思ったけれど。

「わ! 出てきた、苺、丸ごと!」
 苺の酸味と葉っぱの塩分が、甘さと上手く調和してくれた。思わず頬が緩む。
 久々に日本に戻ってきて、甘いものを食べれて幸せだ。

「甘すぎるんじゃないかと思って、最初は反対したんですけどね」
 フォークを置いてコーヒーを飲んでいると、平太郎が話しかけてきた。
「もちろん、最初のは甘すぎてな。今は良い味に仕上がってるが──、あいつにずいぶん試作品を食べてもらったんだろう、麻奈美?」


 私が日本に戻ってきたのは、麻奈美の結婚式に出席するためだった。
 その相手・芝原は……。麻奈美が新作を作る度に、味見担当になっているらしい。

「うん……分量変えて作ってもいつも美味しいって言うし、なかなか決まらないんだもん」
「本当に美味しいと思ってるんじゃない? 麻奈美ちゃんが作ったものは何でも」
「そんな、それは……。でも、優しいのは確かです」
「麻奈美ちゃんのこと以外、何も考えてないもんね」

***

 芝原は大夢がオープンしたときからの常連客で、やがて麻奈美が通う高校の教師になった。
 私と芝原は中学の同級生で、芝原は幼稚園から社会人まで、ずっと星城学園だ。

 もちろん、麻奈美は大夢を手伝いはじめた頃から芝原と仲良くしていた──が。

 麻奈美はずっと芝原が好きだと本人にも言っているのに、芝原はそれをなかなか受け入れようとはしなかった。
 彼本人も、麻奈美のことが好きだったのに。麻奈美もそれを知ってるのに。

 星城の教師は関係者との恋愛禁止、という噂はあったけれど。
 もちろん、教師たちはそういう風に生徒に接していたし、芝原も麻奈美以外の女子生徒からの誘いも、それを理由に断っていた。
 けれど実際、麻奈美と芝原の関係を知っている他の先生は、2人に全面協力していたらしい。

「でも、いくら学園が認めてくれても……僕が許せない」

 自分の好きなように、周りを気にせず麻奈美を彼女にしてしまったら取り返しのつかないことにもなりかねない、といつか言っていた。

 だから麻奈美とは一定の距離を保っていて……。


「麻奈美ちゃんに卒業祝いを贈りたい。女の目線での意見を貰えないか?」
 と、芝原から連絡があって、2人で買い物に出かけた。
 麻奈美が大夢で使うエプロンを贈りたいらしい。

「もちろんプレゼントするとき、麻奈美ちゃんにちゃんと言うのよね? 言わないとね?」
「え? ああ……。そのつもりだよ。やっと言える……早く言いたいな……」

 エプロンは卒業式が終わってから渡すから、そのときは2人の関係は変わっている。
 学校側は「家に着くまでが遠足」みたいに「3月末までは生徒だ」なんて言いそうだけど。
 麻奈美が生徒じゃなくなるときを、芝原はずっと待っていたらしい。


 楽しそうに嬉しそうに買い物をする芝原を見て、私も一緒に笑っていた。
 とんでもないヤツだけど、麻奈美を任せて大丈夫──と思った時だった。

 私と芝原の目の前に、友人と買い物中の麻奈美が現れた。
 麻奈美は、私と芝原のデートと勘違いし、その場から走り去ってしまった。

 それからずっと、麻奈美のことが心配で眠れない日々が続いたけれど。

 1ヶ月後のホワイトデーの午後、芝原が麻奈美と一緒に訪ねてきた。
 麻奈美は私を見るなり泣きだして、何度も「ごめんなさい」と謝った。
 でも、私と芝原が一緒にいるのを見て勘違いされてもおかしくはなかったし、第一、芝原が麻奈美のことばっかり考えて、顔をほころばせすぎていたのが悪いんだ。

***

「そのエプロン、まだ使ってるのね」

 卒業祝いに芝原が贈ったエプロンを、麻奈美はいまも使い続けていた。
 もちろん、あちこち色褪せたり縫い目がほつれたりしているけれど。

「はい。これ貰ったとき、すごく嬉しかったから……」

 卒業式の日、帰りに立ち寄った大夢で麻奈美は芝原と鉢合わせ、そのまま店を飛び出して──家には戻らなかった。
 母親から平太郎に連絡が入り、芝原が麻奈美を探した。


「嫌になって、避けて……でも、好きなのは変わらなくて……。颯太が見つけてくれるって、なんとなく信じてたんです」
 芝原は麻奈美を家まで送り届け、翌朝、麻奈美にも内緒で改めて挨拶に行ったらしい。

「あれからもう、泣かされてないのか?」
「うん、大丈夫だよ。颯太もあれから、私を泣かせない、って誓ったって」


 乾いた食器を片づけながら、麻奈美が「先生、コーヒーお代りどうですか?」と聞いた。
「そうね。いただこうかしら」
「ありがとうございます。私が淹れますね」

 最後の言葉を聞いた瞬間、平太郎の顔が不機嫌そうになったけれど。
 それでも麻奈美がコーヒーを入れるのを見守っているのも、昔と何も変わっていない。


「平太郎さん、これからも、芝原をよろしくお願いします」
「ああ──。本当に、いつまでも手のかかるやつだよ」

 平太郎は大夢をオープンする前、現役の頃は星城で教師をしていた。
 定年前の最後のクラスメイトの中に、誰もが怖がる不良少年がいた。
 それが後の麻奈美の婚約者・芝原颯太だ。

 芝原を今の真面目な大人に変えたのは、平太郎らしい。
 もっと正しく言えば──平太郎がクラスで話した孫自慢、つまり麻奈美の存在、らしい。


「まぁ、麻奈美が幸せなら、それで良いけどな」

 その平太郎の呟きは、麻奈美がコーヒーを淹れる音に紛れて誰にも届くことはなくて。

「麻奈美、本当に泣いてないんだな?」
「もう、おじいちゃん、気にしすぎだよ。私は大丈夫だから」
「それなら良いが……。麻奈美も、あんまりあいつを甘やかすなよ」


 平太郎は相変わらず目くじらを立ててるようで──。

 頑張れ、芝原。
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