新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

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 寝室の扉を叩くと、すぐにシルヴィアが開けてくれた。今夜シルヴィアが纏うのは、ラヴェンダーの寝衣。何層にも重なった薄手の生地が、膝下部分のみ透けていて、アレクセルは正直目のやり場に困ってしまった。

「ああ……!今日のナイトドレスも素敵ですね」
「ありがとうございます。どうぞお入り下さいませ」

 部屋へと通され、アレクセルは室内へ足を踏み入れる。
 二人は寝室の奥へと進んだ。シルヴィアのおろしたての寝衣が、さらりと涼やかな衣ずれの音を立てる。シルヴィアはラヴェンダーの寝衣の上から、薄手のカーディガンを羽織った。
 二人揃って長椅子へと腰掛け、就寝前に飲むと寝付きがよくなるという、既に用意されていた温かいハーブティーを頂く事にした。
 ポットカバーを外すと、シルヴィアはポットを手に取り、手ずから二人分のカップへとハーブティーを注いでいく。

 ハーブティーの入ったカップに口を付けると、優しい香りがした。他愛の無い話をしながら過ごす中、シルヴィアに向けられたアレクセルの声が、真剣な声色へと変化する。

「実は少ししたら、出張に行かなくてはいけません」

 唐突なアレクセルの言葉に、シルヴィアは目を見張った。

「だから出張に行く前に、シルヴィアと寝室で休めるようになれるなんて、嬉しいです」

 何処に出張に行くかなどの詳しい情報は、シルヴィアからは敢えて聞かない。アレクセルの口から言えないのならば、機密事項なのだろう。
 出張の事を教えて貰えただけでも、家族と認めて貰えている証なのだから、喜ばしい他ない。


「帰ったら私の思いを伝えるので、聞いて頂けますか?」

 アレクセルは、シルヴィアの両手を包み込むように、しっかりと握り込み、真っ直ぐ真摯に向き合った。互いの瞳が絡み合う。

「え……」

(何でしょう、この引っかかるワード……?何だか何処かで聞いた様な……そしてこの妙な胸騒ぎ……)

 読書家のシルヴィアが読み漁った物語には、いくつもの類似した台詞を見かけた気がする。
 そして同時に、その台詞の後に必ず起こる不吉な展開……。

(ま、まさか、これは、まさかフラグ……!?)

「僕、この戦いが終わればあの子に告白するんだ」「俺、戦争が終われば結婚予定なんですよ」「今後は田舎に帰って家業を継ぐ予定だ」

 この不吉な台詞を言ってしまった、小説の登場人物達はフラグを立てて、とある展開を起こしてしまうのがお約束だった。

 そう、まさに死亡フラグ。

 今シルヴィアの脳内には、さまざまなテンプレ死亡台詞集達が駆け巡っていた。

「だ、旦那様……っ」

 突進するような勢いで飛び付いてきたシルヴィアを、驚きながらその反射神経の良さで、彼はしっかりと受け止めた。

「絶対に、絶対に無事に帰って来て下さい!」
「シルヴィア……!?」

 僅かに濡れた様な、美しきサファイヤの瞳が揺れている。

(こんなにも心配してくれているなんて……何としてでも無事に帰らねば……!)

 心配する妻の真剣な反応に、アレクセルは感動で震える思いだった。


「はい、シルヴィアのために絶対に無事に帰って来ます」

 アレクセルが新たなフラグを紡いでしまわないか、シルヴィアは気が気ではなかった。
 少し方向性が違うシルヴィアの思考に、気付く筈のないアレクセルは、なおも感激していた。そして「そろそろ、休みましょうか」と提案する。

「そうですね、旦那様は明日もお仕事ですし。早く寝てしまいましょう」
「そ、そこまで急いで寝ようとしなくても……心配しなくても、今夜は何もしませんから、安心して下さい」

 そわそわとした様子で言うアレクセルに対し、シルヴィアはにべもなく答える。

「何も?別にそこは心配しておりませんが?」
「え……」

 何もしないとは言ってみたものの、微塵も期待しない訳ではなかった。
 固まるアレクセルの目の前で、シルヴィアは手で口元を押さえて、可愛らしく欠伸をする。

「実は昨日夜更かしで本を読み込んでしまって、今日はずっと眠かったのです」
「そ、そうですか……」

 あくびの際に瞳から滲んだ涙を、指で拭う姿を見るに、本気で眠気に襲われているようだった。

「ではお休みなさい」

 二人揃って寝台に入ると、速攻で寝ようとするシルヴィアに焦るが、瞼を閉じるその顔を凝視出来るのは幸せだった。

 寝顔を見れるのは嬉しいが、同時に何も出来ないとなると、試練のような気分になる。

 逆にアレクセルは瞳を閉じようとしなかった。
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