新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

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 行き遅れ人生真っしぐらだった筈のシルヴィアの人生を、アレクセルが回避させてくれたのは事実である。
 それによって「行き遅れで変わり者の娘がいる」などと実家が揶揄されなくてすんだのだから、やはりアレクセルには感謝すべきである。

 衣食住が保証され、快適すぎる暮らしに何の不満もある筈がない。そして何よりシルヴィアは、自身の夫に対してこれっぽっちも恋愛感情を持ち合わせていない。

(そもそも恋愛感情以前に旦那様のことはあまり分からないし……。私としてはいっそ、事務処理班にして貰えたら有難いというか……あ、夫というよりも旦那様は雇用主かな?)


 この日、午前中に書類整理を済ませたシルヴィアの、午後からの予定は空いていた。
 そこでシルヴィアは久々に、結婚前からの密かな趣味を満喫する事にした。

 ──この趣味は、決して公爵家の人々に知られてはいけない


 シルヴィアは廊下に出ると、使用人がいないか入念に確認した。大きな窓の向こうは、屋敷の裏手に位置している。キョロキョロと挙動不審に再度確認すると、開け放たれた窓枠に手を掛け「よいしょっと」という掛け声を溢しつつ、軽やかに外へと飛び越えた。

「よし、ここも人気はなさそうね」

 一言呟いてから呪文を唱え、瞬間シルヴィアの身体がふわりと浮かび上がり、屋敷を囲む高い塀を飛び越える。

 こうしてシルヴィアは見事、公爵家脱走を成功させたのだった。

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 行き交う人々に、楽しそうにはしゃぐ子供達の声。焼けた肉や甘い果物の匂いが漂い、食欲を大いに刺激してくる。

 この活気のある通りは、王都の貴族街から離れた下町。
 ここへやって来たシルヴィアは、目立つ銀色の髪を、屋敷から持ってきた黒い外套のフードで隠している。
 そして現在は、眼前に広がる下町の露店を、青い瞳をキラキラと輝かせて眺めていた。ついでに涎も垂らしそうな勢いである。

(嗚呼……どれにしようかしら、どれも美味しそうで迷ってしまうわ)


 そう、シルヴィアの趣味とは、庶民に紛れて露店で買い食いをすること。
 本日も実に様々な露店が開かれており、どれもとても魅力的である。定番の物にするか、異国の物と思われる、珍しい果物にしようか。
 迷ったあげく、本日は好物である串焼き肉を久々に購入することにした。

 長らく結婚式の準備などに追われ、そして現在は公爵夫人として、公爵家に溶け込むために時間を費やしている。

 そのため中々下町に来る機会に恵まれず、この串焼きを食べに来れないのが、最近のシルヴィアの悩みだった。

 使用人の目があるのが一番の理由だが、結婚前はもっと気軽に露店めぐりと、買い食いが出来ていたのに。

 店の人にお金を払うと、シルヴィアは受け取った焼きたての串焼き肉を、歩きながら早速頬張る。肉の旨味が口の中に広がった。

(美味しい!高級な食事もいいけど、やっぱりこのちょっと固めの、歯ごたえのあるB級感は癖になってたまに食べたくなるのよね!)

 シルヴィアは夜寝る前、公爵家の豪奢な寝室の広い寝台の中で、夜な夜なこの串焼き肉に思いを馳せていた。

 こうして散歩をしていたら、またお腹が空いて帰宅後の晩餐がより一層、美味しく感じられるのではないだろうか。
 それはそれで更なる期待が膨らんでいく。

 串焼き肉を頬張りながら、本日の晩餐を思い描く程度に、シルヴィアは食い意地が張っている。
 華奢な体からは想像つかないほど。

 屋台巡りを趣味とするシルヴィアは、好奇心旺盛な性格も相まって、食に対する探究心は人一倍。ついでに食欲も旺盛だ。
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