「好き」と言わない選択肢
 「就職してからも、橋本さんが入社する前には何度か行った事もある。でも、少し、落ち着いた印象になったなと思ったけど……」

「気付かなかった……」

「だろうね。俺も、入社当時、挫折ばかりで何度も辞めようと思った。あの日も、もんたで友達に愚痴っていた。そしたら、君が目の前にビールのジョッキを置いて、冷たい視線を向けてきたんだ。愚痴ってないでやる事やれよ! って、言われている気がした。でも、すごく綺麗で真っ直ぐな目だった。よく、わかんないけど、自分が情けなく思えてさ……」

「あっ…… 思い出したかも……」

 確かに、グチグチ仕事の出来なさを人のせいしている男に、苛立った記憶がある。
 仕事が出来る事がどれだけ幸せなのか……


「それからかな、仕事への覚悟が出来たのは…… でも、君が、新入社員で入ってきた時はびっくりしたよ。それなのに、また、いい加減な仕事しているって罵られた時は、さすがにショックだったわ」

「あれは、謝ったじゃないですか……」

「まあ、俺達が悪いんだけどね。今なら信じてくれる? 俺は、賭けのために、もんたに行ったんじゃない。君が金曜日はあの店に居る事は知っていた」

「わかりました。でも、どうしてもんたに?」

「君が賭けの対象になるのが嫌だったから……」

 彼の目がじっと私を見る。咄嗟に、この目を見てはいけないと思った。


「大丈夫ですよ。私は、そんな賭けに騙されませんから。第一、そういう事は心配いらないんです」

 彼から目を逸らすと、手にしていたグラスを口に運んだ。

「どういう事?」

「興味が無いんです。もう、そろそろ帰らないと。あっ。CM撮影、私も同行させてください」

「ああ、それは当然だろ。それより……」

「でも、主任からも、お願いしてみてください」

 私は、彼の言葉を遮るように言った。


「ああ。大丈夫だと思うが……」

「よりしくお願いします。それでは、お先に失礼します」

「じゃあ、俺も帰るよ」

 彼も、残っていたカクテルを飲み干した。


「咲音。おばさんがお祝いに来るから待っていろって」

 拓真兄が、忙しそうに持っていたグラスを置きながら言った。

「ママ、仕事終わったんだ。じゃあ、少し手伝うね」

 私は、立ち上がって、彼に頭を下げた。

「そっか、お母さん見えるなら仕方ないね」

 彼は、少し残念そうに、店を出ていった。その後ろ姿に、たまらなく切ない気持ちになった。
 どうして、こんな気持ちになってしまうのだろう?

 大きく息を吸い、もう一度、自分に言い聞かせた。

 「誰も悲しませない」

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