社宅ラプソディ


「余談ですけれど、フレンチではメインのお料理のあと、デザートが運ばれる前に、テーブルに散らかったパンくずは集めておきます。

見た目も綺麗に食べなきゃね。パンくずが散らかったままなんてみっともないでしょう。そこは、イタリアンもフレンチも同じ」 


はぁ……と五月と明日香は深いため息をついた。

パンくずをかたづけるマナーなど聞いたことがない、フレンチレストランでは、デザートの前に給仕がやってきて片づけてくれるではないか。

「またまた、センター早水さんの思い込みマナー?」 と美浜が顔を寄せた。


「フランスに短期留学したとき、ホストマザーに厳しく注意されました。パンくずを皿に戻してはダメです、見苦しいですよってね」


「フランスにも行ったんだ、ほかにどこの国に行ったの?」


美浜の質問に、五月はアメリカとニュージーランド、カナダに短期留学していたと答え、へぇーと美浜がまた驚く。

明日香は得意気に 「思い込みマナー」 を語る早水棟長が可哀そうに思えてきた。

早水棟長に正しいマナーを教える人、正しくないマナーを注意する人はいなかったのだろうか、確かに言いにくい人ではあるけれど……

レストランで間違ったマナーで食事をしても、店の者がとがめることはない、恥をかくだけである。

ましてや、間違ったことを披露するとは、知らないとは恐ろしいものだ。

そうならないためにも、いろんな経験をしなくては。

そんなことを考えながら、明日香は斜め前に座っている川森棟長の顔をうかがった。

川森棟長は、早水棟長の 「思い込みマナー」 をどう思っているのだろう。

料理が得意な人はマナーにも詳しいはずだが、気にならないのだろうか。

それとも、あとで 「違いますよ」 と教えるのだろうか。

もっとも、間違いを指摘された早水棟長が、素直に聞き入れるかどうか怪しい。

先月の 『信和会』 歓迎会でも、川森棟長の余計な発言はなかった。

明日香たちが難関大学について話しているときも、そこにいたのに、まったく口を挟まず聞いているだけだった。

先日の資源ゴミのときもそうだ。

「これ、見てくださいよ」 と五十鈴に話しかけられても 「先を急ぎますので」 と足早に立ち去り、そのあとも小泉棟長の噂話に加わることはなかった。

ただ単に噂話が苦手なのか、上手に立ち回る人なのか、明日香にはまだわからない。

食後に紅茶が出された。

カップに添えられたティーバッグの銘柄から、五月が 『信和会』 の歓迎会のとき棟長たちへ持参した紅茶であることがわかった。


「先月の歓迎会のとき、五月さんと明日香さんからいただいたお紅茶です。

『TWG』……トワイニングね。どなたのお口にも合うようブレンドされた紅茶ですね」


ふふっ……と五月が吹き出した。

早水棟長には聞こえない小さな笑い声だった。

明日香は五月と紅茶の費用を折半したとき、紅茶の銘柄について聞いている。

シンガポールでも有名な紅茶は、高級志向に作られた銘柄で、決して安いものではない。

そして、『TWG』 がトワイニングとは間違いで、The Wellness Group(ザ・ウェルビーイング・グループ)、の頭文字だ。

棟長たちに贈ったものと同じ紅茶を五月の家で飲んだ。

フレンチアールグレイは、雑味のないスッキリとした味わいでストレートティに向いていた。


「紅茶は最後の一滴まで出してくださいね。これは、ゴールデンドロップと言われています。

最後の一滴が美味しいんです。いいですか、ティーバッグをしっかり絞って、最後の一滴まで味わってくださいね」


はぁ……と前からため息が聞こえて、明日香は顔をあげた。

川森今日子のため息だった。


「五月さん、残念ね……」


「はい……」


明日香には、川森棟長と五月の会話の意味が分からない。

首をかしげていると五月が 「ティーバッグは絞らないでね」 と耳打ちした。

美浜へも 「苦みが出るので、しぼらずに引き上げてください」 とそっと伝えている。

川森棟長を見ると、ティーバッグを静かに持ち上げてティーソーサーの上に置き、優雅な手つきでカップを口元に運んだ。

勘違いマナーを披露する早水棟長は残念な人、川森棟長は知識をひけらかさない。

女子大の名物教授がたびたび口にしていた 「エレガントな女性」 とは、このような人だろうと明日香は思った。

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