社宅ラプソディ


「一号棟は小野棟、棟長は小泉さん、二号棟は早見棟、棟長は早水さん、三号棟は川崎棟、棟長は川森さん、これも覚えやすいでしょう」


一号棟、二号棟、三号棟、でいいではないか、なぜ名前を付ける必要があるのだろう、全然覚えられないじゃないと明日香は思ったのに、亜久里はウンウンとうなずいている。


「小野は小泉さん、早見は早水さん、川崎は川森さん、同じ字が入っているので確かに覚えやすいですね」


いつもながら亜久里の記憶力は素晴らしい、暗記が苦手な明日香は感心するばかりだ。

定年後、嘱託で勤務しているという社宅の管理人の溝口は、これは入居者みなさんに聞いてもらっているのでと前置きして社宅の歴史を語り始めた。


「小早川製作所は、小野工業、早見製作所、川崎建材、この三社が合併してできた会社です。

佐東君は入社のとき研修で習ったでしょうが、奥さんのために一応説明します」


「来年は合併50周年ですね。お手数ですが、妻のために説明をお願いします」


現役を退いたとはいえ会社の大先輩である管理人に、亜久里は丁寧に返事をした。

こんなところも亜久里の良いところで、年長者への気遣いを怠らない。

合併にあたり、三社の一文字をとって新会社名とし、『小早川』 と名前は決まったが、工業か製作所か建材か、大いにもめたが話し合いの末 『小早川製作所』 に決定した。

ただ、どこに本社をおくかは三社とも譲らず、結局、関東、東海、九州に拠点を置いていた各々の会社すべてを 「本社」 とした。

合併前の三社の規模は同等で、力関係も拮抗していた、ゆえに合併後も互いを意識して業績を上げてきたのだと、溝口は誇らしそうに語った。

当時新築だった社宅三棟には、合併前の会社の名前が付けられ、それぞれの会社から集まった社員の家族が入った。

今はなくなったが、10年ほど前まで社員家族の運動会があり、社宅棟で競ったものですと、溝口が自分の新婚の頃を思い出しながら語るのを、明日香はややうんざりしながら聞いていた。

明日香が退屈そうにしていることに気がついたのか、亜久里はまだ続きそうな溝口の話をさえぎった。

さすがグリさんと、明日香はここでも夫を見直した。


「貴重なお話をありがとうございます。トラックが着く前に挨拶回りをしておきたいので、入居者名簿をいただきたいのですが」


「はいはい、名簿ね……ちょっと待ってくださいよ……これだ。では、部屋に案内します」


亜久里は各棟の入居者の確認のために一足先に出ていき、明日香は川崎棟まで歩きながら、管理人溝口から 「会社の歴史」 語りの続きを聞く羽目になったが、川崎棟に着くまでのもう少しの辛抱である。


「ここは小学校が目の前にありますからね、社員に人気の社宅だったんですよ。

幼稚園や小学生のいる社員は、みな 『梅ケ谷社宅』 を希望したものです。

あの頃は……あっ、私の若い頃の話ですが、抽選倍率もすごかった、懐かしいですな。

『梅ケ谷社宅』 と、どっこいどっこいの古さだった小学校が昨年建て替えられて、こっちの古さが目立ってしまいましたが、近いうちにここも建て替え計画があるとか、ないとか」


「新築になるんですか?」


「その予定だったのが、リーマンショックやらなにやらで先送りですよ。いつですかねぇ、ここの順番が回ってくるのは」


明日香たちがいるうちに建て替えはなさそうで、「はぁ……」 と肩を落とした。

川崎棟の玄関前までくると、最後に……と溝口が立ち止まった。


「棟長は、幹部社員の奥さんが務めることになっています」


「幹部社員というと、管理職ですか?」


「そうです。管理職でも課長クラス、次期部長ですな。私は妻を棟長にさせてやれなかった。

佐東さんはこれからだ。未来の棟長目指して頑張ってくださいよ」


「はぁ……」


明日香の気のない返事に、溝口は 「佐東さん、ここからですよ、ここから」 とさらに励ますように念押しした。

夫が部長候補にならなくては妻は棟長にはなれないのはわかるが、「頑張ってください」 とはどういうことだろう。

内助の功を尽くせといいたいの? いつの時代の話よ……と明日香は三階への階段をのぼりながら内心おもしろくない。


「さぁ、ここです。わからないことがあったら、何でも言ってください。じゃぁ、私はこれで」


ところどころに錆もみえる玄関扉の鍵を渡して溝口が去ったあと、「トイレはせめて暖房便座でありますように」 と祈りながら、明日香は亜久里につづいて部屋に入った。


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