シリウスをさがして…

乗り越えないといけない壁

目覚まし時計よりも早くに目が覚めた。
カーテンを開けると、太陽の光が眩しい。

 夏真っ盛りで、着ていたパジャマはびっしょり汗をかいていた。

 洗面所で服を着替えて、汗を流そうと、シャワーを浴びた。
 
 裸のまま、だんだんとお腹に張りが出てきた気がする。いつもと違う感覚。

 動いてはいない。きっとまだ小さい。

 服に着替えて、鏡を見ると嗚咽した。

今朝も口の中がモヤモヤする。

 出したくもないのに、無意識に出るよだれ。


 予期もしない眠気。


 鼻に近づいた食べ物の匂いを嗅いだだけで、吐き気をもよおす。


 咀嚼して食べるもの全てのものが受け付けない。

 唯一、飲めるのは果物エキスが入ってるであろうミネラルウォーターに近い清涼飲料水。


 みかんや桃を変わる変わるに飲んでいた。


 ここ最近は、大学やバイトに行くこともできない。


 でも、今日は、どちらの両親にも話に行くと約束していた土曜日。


 陸斗は久しぶりにバイトが休めると朝寝をしていた。


 起きる気配がない。


 約束の時間は仙台に午後2時30分。


 新幹線で帰るにしても、早く起きて欲しいもの。

 部屋の中にノックもせずに入って、ベッドの中に潜り込んだ。

 足の裏をくすぐって、脇腹狙ってくすぐった。

 何も声を発せずに、さらりと足を避けられる。


 それでもめげずに今度は両脇をくすぐろうとすると、両腕に捕まった。


「何をしているの?」


「寝込みを襲いに…。」


「それって俺のセリフでしょ。てか、爪が甘いよ!?」


 想像絶するくらいに両脇をくすぐられて、体が震えて笑いをこられようとした。それは無理に等しい。

  
 紬は、笑いながら、顔や頭を両手で押し込んで、やめさせようとする。


「寝起きにくすぐった罰だよ。」


 顔を手で押されても諦めずにくすぐり続ける。

「やーーめーーてーーー!」


 笑いから本気の怒りに変わってきた。度を超えたらしい。


 ベッドから転がり落ちた。


「ったく、もう。」


 頭をぽりぽりと掻き上げながら、立ち上がって、部屋を出る。


「いや、どっちが!? 酷いのはそっちでしょ!」


 いつもは、起こされる立場なのに、起こしに行くのは珍しいことだった。


 少し機嫌を悪くした陸斗は、トイレに行ったあとに、冷蔵庫から取り出した炭酸水を飲んだ。


紬はソファに座り直した。


「時間、何時だっけ?」


「知らなーい。」


「何それ。行かないの?」


「何、怒ってるのさ。」


 スン…と明後日の方向を向いて、ご機嫌ななめになる紬。

 陸斗は隣に座って、顔をじーと見つめる。

「さっき、起こしに来たんでしょ?俺が起きないから。」


「……。」


 
「そーですか。だんまりですか。」



 立ち上がって、台所に行き、ご飯を作り始める。

 紬は食べられないことを、知っていた陸斗はとりあえず、かろうじて食べられそうな酸っぱいグレープフルーツやいちご、バナナなどを小さく切って器に取り付けた。


 自分用のご飯は、白いご飯にウィンナーに目玉焼き、ブロッコリーを乗せた丼
ぶりにした。仕上げにケチャップとマヨネーズをつけた。


トレイに飲み物のコップと皿を乗せて、ソファの近くのテーブルにフォークと一緒に並べた。


「食べられる時、どーぞ。俺はこれ、食べるから。いただきます。」

 
 ガツガツとかっこむ陸斗。
 紬はソファから降りて、テーブルと高さを合わせて座る。

 恐る恐る、フォークを持って器に乗った果物を食べようとする。

 匂いはあるがギリギリ吐き気はしない。

 一口食べて飲み込んだ。
久しぶりにお腹に食べ物が入った気がする。

 そのままどんどん口に入れてお腹を満たした。


 満足そうな顔を見て安心した。


「体重、減ってきてるんだから、食べられそうなもの食べないと、倒れちゃうよ。」


 食べたいものが食べられないストレスでイライラが募る。


 突然訪れる吐き気や、よだれが出てくるのも、逃げ出せないミッションで、嫌気がさす。


「良いよねぇ~。男の人はこういう時、辛い思いしないから…うぅー、気持ち悪い~。」


テーブルの上に両腕を置いて、
顔を埋めた。



「うーん。変われるものなら変わってあげたいけど…無理だし。確かに辛くはないけど、サポートしなきゃとは思ってるよ。」

背中をさする。
こういう時どうすればいいのかほんとに迷う。ただ、痛みが和らぐのを待つしか何もすることしかなかった。何もできない自分に苛立ちさえ覚える。

「どうする? 今日行くのやめる?」


「ううん。約束したし、あと次予定組めるか分からないから行くよ。」

 本当ならば、今すぐにでもベッドで横になってのんびりしたいところ。

 でも、陸斗も両親も時間を作ってバイトや仕事を休みにしてくれている。

 これからひどくなることを考えたら今のうちに行くべきだと感じた。


 断固として変えようとはしなかった。

 紬の体調のことも考えて、実家で過ごす方が安全だと言うこともある。

 荷物をキャリーバッグに詰め込んで、気持ち悪さを我慢して、新幹線に乗るため、タクシーを家の前に呼んだ。

 どうにか約束の時間に間に合う、新幹線に乗ることができた。

 東京駅での菓子折りを買うのを忘れずに荷物をしっかりと車内に詰め込んだ。


バックの中から普段飲んでいるペットボトルの清涼飲料水を紬に渡した。


「ほら、これ座ってる時喉乾いたら飲んで。」

「あ、うん。ありがとう。」

 座席のドリンクホルダーに陸斗も自分の分を用意した。

「新幹線とも言えど、仙台まで約2時間くらいあるから、喉も渇くでしょう。眠いなら、寝てて、良いよ。俺は起きてるから。」

 バックの中からさらにワイヤレスイヤホンとカバーをつけた文庫本を取り出した。スマホで好きな音楽を選択し、イヤホンをBluetoothで接続した。

 紬は窓の外をぼんやり眺めながら、いつの間にか、陸斗の肩に寄り添いながら眠りについた。

 ため息をつきながらも、首が疲れない位置に移動させた。


 前よりもどこでも眠れるようになったらしい。

 仙台に着く頃には、左肩が痺れるようになっていたが、気にせず動いた。

「紬、着いたよ。仙台だよ!」


「え……。」

 かなりの熟睡度で周りを理解するのに時間がかかった。

「ほら、約束の時間、遅れるよ?」

「あー、うん。そうだよね。」

 状況を読み込めた紬は荷物をまとめて、立ち上がった。

 駅の外に出てすぐに待機しているタクシーに乗り込んで紬の家を向かった。




****



タクシーがついてすぐにキャリーバッグをカラカラと家の中まで運んだ。

 久しぶりに見たラグドールのお店はランチ営業だけしていたようで、まもなく閉店というところだった。時間はちょうど午後の2時すぎだった。

 裏口から荷物と共に入って行った。

「ただいまー。」

「お邪魔します。」

「おかえりなさい。本当に久しぶりね。2人とも。見ない間に大人っぽくなったかな??」

 紬の母のくるみは温かく迎え入れてくれた。店の方で片付けをしていた父の遼平はまだ気づいていない。慌ただしく動いていた。

「今、お店閉店させたところだから、もう少し待ってね。荷物はその辺に置いて、そこでくつろいでて。」

「はい。失礼します。ほら、紬も。」


「あ、うん。ごめん、ちょっとトイレ。」


 紬はお店の食べ物の匂いに瞬時に反応して、トイレに駆け込んだ。くるみは洗い物に夢中になっていたため、こちらに気づかなかった。

 とりあえず、陸斗は居間のテーブルの前で正座して待っていた。


 変に緊張して、汗が止まらない。ハンカチで汗を拭う。夏だから暑いって言うのもあるのかもしれない。


(こんな状態でまともに話できるのかな。匂いが半端ない。ダメだ、あそこにいけるか…レモンの飴でも舐めてごまかそう。)

 ポケットにしのばせていた飴を口に含めた。ギリギリ平静を保てた。



「ふぅー。やっと片付け終わったー。あれ、陸斗、いたの?」

「あれ、洸、お店やめてなかったの?大学卒業したろ?」

「大学卒業したけど、調理師免許まだ取れてないから今専門学校に通い直してて、まだここで働きながら学生です~。あと1年はかかるけどね。何、陸斗はどうしたん?大学は順調?」

「え、まだ学生?もう、年でしょ。早よ、仕事しろって。」

「何言ってんの。学生でもここの社員に
なってますー。一応店長のお墨付きで調理師免許取ったら暖簾分けの店出すんです~!」

「は?ずるいなぁ。就活しないの?楽しすぎじゃないの?」

「楽はしてないって、毎日頑張ってるつぅのー。陸斗こそ、大丈夫なの?仕事。内定取れた?」

「俺のことは放っておいて、いろいろあるの。洸には言いたくない。」


「あ、そうですか! 紬~、久しぶり、元気してた?見ないうちに綺麗になったねー。」


「…洸さん、私、今それどころじゃないんです。」

「え?何、なんかあった?」


 3人で話をしていると、キッチン側から遼平がやってきた。


「お?ずいぶん賑やかだね。2人とも都会に染まった感じあるね、元気してた?今、ちょっと待ってね、着替えてくるから。」

 さらりと会話すると奥の更衣室へ進んでいく。その間に、紬は陸斗の横に座って話す準備をしていた。


「足、崩して良いよー。はい、暑かったでしょう。麦茶、置いておくね。」


くるみはテーブルに麦茶を並べた。
いつの間にか、洸も中の方へ着替えに行く。


「店長、なんだって、今日、2人帰ってきたんすか?」

「何か、話あるらしいんだよね。分からないけど。」

「へえー、何っすかね。改まってする話ですかね?」

「良い話だと良いんだけど、あとで何だったか教えるから。お疲れさん。」

「うっす。」

 コックコートから私服に着替えて、ロッカーの扉をバタンと閉めて、居間の方に遼平は行く。

 洸は着替えを続けて、話の内容が気になり、そのまま更衣室に残って耳を澄ましていた。



「ごめん、ごめん。お待たせ。約束してたの2時半だったのに、3時になっちゃったね。それで、話って何?久しぶりに帰ってくるって聞いたからびっくりしてて…。」

 遼平はテーブルにある麦茶を一口飲む。紬と陸斗はどっちから話すかで揉めていた。

「え、俺が言うの? ……あの、実はご報告したいことが2つありまして…。」

遼平とくるみは何の話だと体をテーブルに寄せた。

「ん? 報告?」

「1つ目は、俺の就職先が決まりまして、晴れて4月から新卒採用で働くことになりました。正確には研修がありまして、2月から働くことになります。それが1つ目と…。」

「お!仕事決まったの?それはおめでとう。今、求人数もあまり多くないってきくけど、決まってよかったね。東京だと競争率激しかったんではないかな?」


「そうですね。何十社も受けてどうにか内定勝ち取りました。これはもう、縁でしかないって思ってます。」


 何度も頷いて、遼平は良い話だと納得した。


「それで?もう一つは?」

 生唾を飲み込む。

「実は……その、今、紬のお腹の中に赤ちゃんがおりまして…病院に行ったら、今妊娠3ヶ月と診断されました。つわりが今ひどい時期だと紬は言ってます。」

 陸斗の背中に寄りかかって恥ずかしそうに両親を見る紬。くるみはとても喜んで笑顔でいたが、遼平は複雑な表情を浮かべた。


「陸斗くん、ごめん。厳しいことを言うようだけど、今、君は大学生だよね。確かに仕事は決まっていて、喜ばしいことだけど、約束…違うんじゃないかな。同棲を認めた時に、大学を卒業してからの結婚をって約束しなかったかな。」


「あ……申し訳ありません。予定外になってしまったことは本当に申し訳ないと思ってます。同棲の約束も覚えてます!結婚はもちろん、卒業してからと考えておりました。ただ、子供ができたことは止めようがない事実で…悪いのは…俺です。」


その場で土下座して謝ったが、遼平はそれを見てはいない。


「確かにそれは止められないね。中絶なんてさせたくないし、紬の体のことも心配だから。でも、俺は約束を守れていないことに君に失望したよ。結婚を認めることはできない。もう少し考えて行動してもらえるかな。しばらくは紬と一緒に住むことを控えてほしい。」



陸斗はそう言われて何もいえなくなった。


「お父さん!!」


「紬は黙ってなさい。」


「すいません、頭、冷やして来ます。」


 陸斗は最敬礼すると、家を出た。スマホを取り出してタクシーを呼ぶ。


 その場にいることがストレスでいたたまれなかった。問い詰められることが初めてだった。こんなに追い込まれるなんて、思ってもなかった。


それを見た紬は叫ぶ。


「こっちの意見も聞かないで、勝手に決めないで!!お父さんなんて、大っ嫌い!!」


せっかく持って来た荷物を持って、紬も外に出た。

 今まで言われたことない『大嫌い』に胸が突き刺さる。涙が出た。2人のために言ったつもりだった。


「お父さん。あの言葉ってあの人と同じじゃない。」

くるみは遼平にささやく。


「……俺が言ってみたかったの。俺らしくないけど、少しは響いたかな。」


「決めるのはあの子達次第よ。様子を見ましょう。」


その会話をしっかりと更衣室にいた洸は聞いていた。そっと、2人に気付かれないように裏口から外に出る。


「陸斗、きっとお父さん、仕事で疲れてるんだよ。だから、さっき言ったのは気にしないで。」


「いや、お父さんの言ってることは本当だよ。約束してたの、破ったわけだし。結婚も、卒業してからってことにならないかもしれない。でも、ごめん、ちょっと考えさせて…。」


 陸斗はタクシーに1人で乗り込んで行ってしまった。的を射たことをグサっと言われた。精神的に傷ついてないとは嘘になる。


 タクシーは風を切って走って行く。紬は1人駐車場に残された。涙が止まらないし、よだれは出るし、ムカムカも。



 裏口から洸が外に出て来た。



「紬、どうした?泣いてるの?」



バックを片手に洸は近づく。


「洸さん……。う、うー、気持ち悪い。」


「まさか、このパターン?俺、洗面器じゃないんだけど…。」

 
 洸の服にまた嘔吐しそうになったが、持っていたハンカチにギリギリよだれでおさまった。


「セーフだね。紬、今日はうち来ない? 美嘉もいるから。」


「え?美嘉も? もしかして一緒に住んでいるの?」


「おう。そうともよ。善は急げだね。車、後部座席乗って!美嘉にあと電話するから。」


洸は黒いSUVの後部座席に荷物を乗せ、紬を誘導した。


「美嘉?今から紬ちゃん、連れてってもいい? …そう、東京から今日帰って来てたんだって。良いよね。」


洸は、美嘉に電話して状況を説明した。久しぶりに紬に会えることに喜びの声が電話の向こうで聞こえる。


 車で10分もかからないところのアパートまで車を走らせた。


 のちに洸は、うちで紬を預かっていることを店長の遼平と陸斗にメッセージを忘れずに連絡しておいた。もちろん、誤解を与えないよう、美嘉がいることも伝えた。
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