スイート×トキシック

 ドライヤーの音だけが響き、十和くんの指先が時折(ときおり)頭に触れる。
 何もしないで座っている間は無心になれた。

 不思議な感覚だった。

 こんな瞬間、これまで通りの日常を生きていたら絶対に訪れなかっただろう。

 こんなふうにふたりきりの空間で、ふたりきりの時間を、彼と過ごすなんて考えられなかった。

 あたたかい風が流れ、シャンプーの香りが漂う。
 わたしのじゃない、知らないにおい。

 少しずつ、十和くんの色に染められていく。



「よし、でーきた」

 ぱち、としばらくして不意にドライヤーの音が止んだ。

(こんなに静かだったっけ?)

 衣擦(きぬず)れの音ひとつひとつが耳につく。
 わたしたちのほかに誰もいない事実を嫌でも突きつけられる。

 ふと頭に彼の両手が載った。

「……!」

 一瞬くすぐったくて思わず身を縮めた。

 すん、と鼻を寄せたのだと一拍遅れて気が付く。

「うん、俺とお揃いのにおい」

 わたしは咄嗟に距離を取ろうとした。
 そうしないと、じわじわと毒が染み込んできそうで。

「待って、動かないで。まだ終わってないから」

 あえなく肩を掴まれ、先ほどと同じ体勢に戻る。
 今度は頭に硬い感触が触れた。

 さっと流れた髪がさらさらこぼれ落ちる。
 こうして髪をブラシで()かすのも、何だか久しぶりのことだった。

 彼は要領よく全体を梳かし終えると、今度は(くし)に持ち替えて同じことをした。

(男の子の家にも、ブラシとか櫛とかあるんだ……)

 確かに十和くんの髪は櫛を通せそうな余地がある。
 もしくは彼の家族のものかもしれない。

 それを使うのはちょっと抵抗はあるけれど、今のわたしはそれを口に出来る立場になかった。

「…………」

 以前あんなふうに乱暴に掴んできたとは思えないほど、十和くんの手つきは優しかった。

 丁寧にわたしの髪に触れながら、機嫌よさげに鼻歌まで歌っている。

(髪触るの、好きなのかな)

 そんな様子を見ていると、ふと思い出してしまう。
 逃げ込んだ一室でたまたま目にした、女性用の洋服のこと────。

 あれは本当に十和くんのものなのかな。
 彼の趣味……なのだろうか。



 聞くに聞けないで躊躇っていると、ぴたりと鼻歌が止んだ。

「どうかした?」
< 37 / 187 >

この作品をシェア

pagetop