つがいの花嫁は竜人王に溺愛される
 夜を溶かしたような漆黒の髪。鋭い黄金色の瞳は炯々と光り輝いている。逞しい体躯を白銀の鎧に包んだ精悍な相貌の男は、頭部から硬そうな二本の角を生やしていた。それに首元は緑色の硬そうな鱗に覆われている。
 巨大な斧を軽々と手にした男の大きな口元からは、鋭い牙が覗いていた。
 竜と人の身体を併せ持つ種族――竜人族だ。
 書物で見たことはあるが、本物の竜人族は初めて見た。
 エメルティアは驚くに目を見開く。
 獰猛な竜人族は殺戮を好み、さらった者を陵辱してなぶり殺しにするという。圧倒的な力の差をもって弱者をいたぶる非道な種族、それが竜人だ。
「あ……あ……」
 あまりの恐怖に、エメルティアは掠れた声しか出せない。
 彼は自分を殺すためにやってきたのだろうか。
 竜人は震えるエメルティアの姿を捉えると、流暢に言葉を発した。
「心配せずともよい。私はきみを救いにやってきたのだ、エメルティア」
 彼の落ち着き払った態度に、エメルティアは瞠目した。
 救いにやってきたとは、どういうことだろう。
 竜人族は野獣と同じく、意思は通じないと思っていた。それなのに、彼は言葉を話したばかりか、罪人のエメルティアを救うと言う。
 わけがわからないエメルティアは身振りを交えて説明する。
「あの……どうしてわたしを救うだなんて言うのですか? わたしは罪人なのです。だから死ぬまでここから出られません」
 竜人族はルキアナ国を征服しにきたのだろうか。かつて父の領地だったここは王都から遙か遠い。エメルティアはもう公爵令嬢ではないし、王族の身分は剥奪されているので、人質にもならないはずだ。むしろ王家はエメルティアの死を望んでいるだろう。
 竜人の男は黄金色の双眸を細めた。
「人間の法か。だが私は竜人の王だ。私のものになれば、竜人族の法に従うしかなくなるな」
 彼はなにを伝えようとしているのだろう。エメルティアが理解できたのは、彼が竜人族の王らしいということだけだった。
 寝台に歩み寄った竜人王は、身を強張らせているエメルティアに近づく。
 伸ばされた腕は強靱だった。それをさらに強固な篭手で覆っている。彼は腕のみの膂力で扉を叩き壊したのだ。彼が少しの力をかければ、エメルティアの細い首は一瞬で折られてしまうだろう。
 殺されるのですね……。
 死を予感して唇を震わせていると、竜人王は無骨な手で、エメルティアの痩せた頬を包み込んだ。壊れ物に触れるような優しい手つきが意外で、呆然としてしまう。
「会いたかった」
「……え?」
 彼がつぶやいたひとことが、渇いた胸に染み入る。
 どこかで会ったことがあるのだろうか。エメルティアは首を捻った。
 でも、そんなはずはない。エメルティアは十年もの間、幽閉されて誰とも会わない生活を強いられてきた。それに竜人族を見たのも、初めてなのだから。
 記憶の中の、あの人以外は――。
 竜人王は着ていたマントを脱ぐと、エメルティアの華奢な身体を包み込む。息ができるよう頭だけは出され、丁重な手つきでマントごと横抱きにされた。
 エメルティアは己の運命に身を任せた。今までと同じように。
 抵抗するような気力も体力もなかった。
 抱き上げられたまま運ばれて戸口をくぐり、石段を下りると、眩い陽の光が射し込む。強い陽射しに慣れないエメルティアは瞼を閉じて、マントに顔を埋めた。
 馬の嘶き、人の話し声、金属のぶつかる音。
 音の洪水が流れ込んできて、幽閉の孤独に浸かっていた身体に怯えが走る。誰かの靴音がすぐ傍にやってきた。
「王! この城は無血で落ちました。王国軍を待ち伏せいたしますか?」
 野太い声に、竜人王は低い声音で返す。
「いや。目的のものは手に入れた。当初の予定どおり、帰還する。城内の人間は解放せよ」
「御意にございます」
 帰還せよ、と号令が轟き、辺りはさらに喧噪を増す。
 逞しい腕に抱かれながら、ふわりとした浮遊感が起こる。どうやら竜人王が馬に騎乗したようだ。
 耳元に、温かな呼気を吹きかけられる。
「エメルティア。最後に、自分の育った城を見ておくがいい」
 ふと顔を上げれば、双眸を細めた竜人王に見つめられていた。
 黄金色のその瞳に慈愛が込められているのを感じ取り、なぜだろうと不思議に思う。
 これから殺す者を気遣う必要などないのに。
 ただ、彼の言った“最後”という台詞に、エメルティアは二度とこの城に戻ってくることはないのだと知った。
 竜人王の肩越しに、生まれ育った城の姿を目に収める。
 十年間、一度も眺めることのなかった城の全景は、すっかり寂れ果てていた。記憶の中にある華やかだった頃の面影はなく、草木は荒れ放題で城壁は所々崩れ落ちている。エメルティアの世話のために残されていた召使いたちが、竜人族に解放されて方々に逃げていく後ろ姿が見えた。
 さようなら、お父様、お母様――。
 とうに両親はいない。父は行方がわからず、母はもう亡くなっている。それなのに、エメルティアは心の中で別れを告げた。
< 2 / 56 >

この作品をシェア

pagetop