飛んでる聖女はキスの味

1. 森の外れの宮殿で

 クリスティーはザイミール三世の従者である。 今日も懸命に馬の世話をしている。
だだっ広い王亭の隅に在る馬小屋で三世がお気に入りの白馬に餌をやりながらふと外を見た。
 春の日差しが山々を照らしている。 遠く近く白い雲が浮かんでいる。
「ああ、あの山に行ったならさぞや空気もいいだろうに、、、。」 元来、武芸という物に疎い彼は無性に山へ行きたくなった。
ところが王の許しが無ければ山へなど入ることは叶わない。 クリスティーは考えた。
されど、いい知恵が浮かぶわけも無く彼はまた白馬に目をやるのである。

 この白馬はその昔、カサブラーナという王国のプレオス二世が好んで乗っていたと言われる王馬であるという。
だからなのか、この国の馬には無い気品が感じられ、三世もことのほか気に入っているようである。
何かの祝いだと言えばこの馬を走らせ、他国の王が礼賛したとなればこの馬の毛で作った筆を見舞った。
しかし見たいと言えば見られる馬でもない。 王亭の者でさえほとんど見たことが無い幻の馬なのである。
もちろん、掛け合わせる馬も厳しく選定される。 カサブラーナ由来の馬でなければ掛け合わせないというほどの慎重さである。
 では、そのカサブラーナとは何処に在る国なのか? 不思議なことに誰も知らない国であった。
三世でさえご存知ない国だったのであるから、王亭の人たちもびっくり仰天だった。

 クリスティーはカサブラーナという国を探してみたいと思った。 彼は探検が大好きな男だった。
ある日のこと、いつものように白馬に餌をやりながら山を見ていた彼はふと思い付いた。 (カサブラーナ探索の旅に出よう。)と。
そこで王亭の警備をしているトリアーニを呼んだ。
 「クリスティー殿、何か御用でございますか?」 「実は暫く留守にしようと思ってな。」
「留守?」 「そうだ。 探検をしようと思う。」
「探検、、、でございますか?」 「そうだ。 カサブラーナという国の名前を聞いたことが有るだろう?」
「ああ、この白馬の生まれた国、、、。」 「そうだ。 なのに誰も知らん。 そこでだ、俺が探しに行こうというわけだ。」
「おやめになったほうがいいのでは?」 「なあに、心配は要らん。 すぐにでも帰ってくるさ。」
「ならば、、、。」 「三世にはよろしく伝えておいてくれ。」
「畏まりました。 では道中御無事で。」
というわけでクリスティーは山を目指して西へ西へと旅立ったのでございます。

 その頃、三世は王亭の奥の間で来客の持て成しをされておりました。 「ザイミール殿、白馬はお元気ですか?」
「ああ。 あやつはいつも王亭の庭を走り回っておる。 その辺に居るであろう。 お休みになった後にでも庭を散策されるとよい。」 「ありがとうございます。」
イーストフェラー皇国のジェリア総統である。 彼はなかなかの武芸者で好き好んで戦いを交えたいとは誰もが思わない強者である。
ジェリアは武芸者でありながら絵を嗜むという変わり者でもあった。 そこで今回も目新しい風景画を手に入れて持参したのであった。
 ザイミールはというと絵という物にはこれっきしの興味も無い。 そこで部下を集めて風景画をお下げ渡しになった。
「こんな高価な物を簡単にお下げ渡しになるとは、、、。」 従者の中でも話題になるほどである。

 さてさて、クリスティーは最初の川を渡って初日の宿を探しております。 しかしまあ、うまい具合に見付からないものです。
悟られては困るのでボロを着込んでおりますから誰も泊めようとはしません。 仕方なく岩陰で野宿をすることにしました。
たまたま野菜の焼いた物を売っている老婆に会いましたので、少しだけ買い求めますと、、、。
「そなたは王亭の方ではござらぬか?」と聞いてまいります。 何度否定しても引き下がりません。
とうとうクリスティーは折れて老婆にだけ身元を明かしました。 「ならば、狭いが私の家にお泊りくださいませな。 食事ならそこで何とか致します故。」
「これは有りがたい。 一晩だけ厄介になるぞ。」 クリスティーは銀貨を一枚老婆に渡しました。
 老婆の家は荒れ野の片隅に在り、大人三人が眠れるほどの家でした。 「粗末な家だね。」
「あたしらは代々このような家に住んでおります。 毎日行商をしながら細々と暮らしております。」 クリスティーは自分の暮らしを思い返した。
毎日、王亭の中で文句を言いながら白馬の世話をしているのです。 重たい荷物を担ぐことも無いのです。
そんな暮らしを抜け出して探検を始めたのですから、知らない事ばかりなのです。 頭を下げることしか出来ません。
 いつか老婆も彼も深く寝入ってしまいました。

 その夜のこと、、、クリスティーは不思議な夢を見ました。
「旅のお方よ、川に小船が浮いておる。 それに乗られい。 さすれば数日でアンカスの山に付くであろう。」
クリスティーはなおも寝入っております。 どうやら雨が降り始めたようです。
あばら家ですから雨音が酷く、老婆も寝返りを繰り返しております。 狭い家でのこと、、、。
二人は互いにぶつかりながら夜を明かしました。 翌朝は打って変わっての晴天です。
「ひどい雨だったな。 婆様は大丈夫か?」 「長年住んでおりますゆえ、これくらいの雨には慣れております。」
「そうか。 ならば私は旅に出るとしよう。 元気で暮らすんだぞ。」 「ありがとうございます。 あなた様もお元気で。」
 荒れ野を進んでいきますと小さな川が見えてきました。 夢で見たような川です。
芦野原が広がっております。 その向こうに船の影が見えます。
(あれではなかったか?) クリスティーが近付いていきますと船は岸に繋がれておりました。
「よし。 これに乗ろうではないか。」 彼は船に乗るとどっかと座り込みました。

 その頃、王亭では? 従者 クリスティーが居なくなっても何の騒ぎにもなりませぬ。
代わりの者が白馬の世話をしております。 白馬はいつものように元気で三世を待ちかねているのでしょう。
やがて三世とジェリアが馬小屋にやってまいりました。 「ここでございますぞ。 今、白馬を呼びますからな。」
三世は馬小屋の番人を呼び付けました。 「畏まりました。 すぐに行かせましょう。」
彼は口笛を吹きました。 お供が数人白馬と共にジェリアの前に進み出ました。
「おー、これが噂のカサブラーナの白馬でありますか。 なるほど。」 ジェリアは馬の毛並みを確かめております。
「こうして見ておりますと欲しくなりますなあ。」 「いつか種馬を用意させましょう。」
「それは楽しみですな。 この馬は速いのでしょう?」 「そりゃあ選び抜かれた名馬ですからな。」
ザイミールは得意そうに笑っております。 ジェリアはますます欲しくなりましたが、、、。
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