嫉妬
 鹿児島工科大学の第三講義室。2年の星川浩二は隣の第二講義室から、この部屋に入ってきた。ハロウィンの当日、隣の英語の講義では、何故かハロウィンパーティーが開催されていた。不気味な赤鬼の仮装をした学生や、ドラキュラ伯爵の仮装、長身の学生によるフランケンシュタインの仮装等で、隣室はごった返していた。若い英語講師は専門は言語だったが、チョコレートを愛想良く各学生に配っていた。
 隣の喧噪を離れて、星川はこの空き講義室に来た。予め、同級生で恋人の山本夏美を呼び入れていた。
「夏美さん、来てくれていたんだね」
「ええ、星川さん、どうしたの急に」
「いや、唯ね、君にコクりたいんだよ」
 夏美は驚いた。
「何を言い出すの」
「いいじゃないか、結構長く付き合っているし」
「私を愛してくれているの」
「ああ、愛しているよ。此処に僕の気持ちを表すために、君にプレゼントがある」
「まあ、何?」
「開けて見てくれ」
 星川は手渡した。夏美が小さな宝石箱を開くと、美しく輝くダイヤの指輪が入っていた。
「まあ、嬉しいわ。有難う」
「僕に出来るのは今はこの位なんだ。カラットが小さいことは分かっているが、これが精一杯の気持ちだ。受け取ってくれるかい」
「ええ、勿論」
 その時、講義室の一隅から声が聞こえた。
「そんなこと許さないわよ。星川さん」
「誰だ」
 後方の机の影から、身を潜めていた、川田由香が現れた。
「何だ、君は」
「星川さんは、私と付き合っていたじゃない」
「それは過去のことだ。今頃何を言い出す?」
 由香は歩み寄って来た。
「絶対許さないわ。これは私が頂いておく」
 由香は夏美から指輪を奪い取った。
「何をするんだ、君」
 由香は指輪を持って、駆け出した。あっという間に講義室を出た。
「待て」
 星川は後を追った。由香は酷く敏捷だった。
 星川は廊下を全速で走って、彼女を追ったつもりだった。
 由香の姿は何処にもなかった。廊下の端から階段を降りて、一階の出口まで、星川は由香を探し回った。
 狐につままれたように、星川は戻って来た。

 不意に、第二講義室のドアが開いて、由香が姿を現した。
「君は隣に居たのか」
「そうよ」
「指輪は何処にある?」
「この、第二講義室の中に指輪を隠したわ。本当よ」
「何だと」
「でも見つからないわよ」
 由香はそう言い捨てて、その場を去った。
 星川は、第二講義室の内部を隈無く、しらみつぶしに探した。しかしダイヤの指輪は何処からも見つからなかった。

 
「と言う訳なんです」
 汚い貧相な内装の事務所で、語り終わった。
 私立探偵亀田は相変わらず仕事にあぶれていて、学生の話も熱心に聞き入っていた。
いつもながらのトレンチコートは脱いでいたが、ネクタイも曲がって哀れな格好だった。
「それで全てなのか」
「ええ、全部お話しました」
 亀田は考え込んだ。
「亀田さん、僕は工学部の二年生で、建築を専攻しています。その僕が部屋をしらみつぶしに調べたのです」
「壁とか床などをだね」
「僕の目を誤魔化すことは難しいと思います。しかしダイヤの指輪は見つからなかった。一体何処にあるのでしょうか」
「その時には既に英語の講義は終わっていたのだね」
「終わっていました」
「残っていた学生はどの位?」
「数人でした」
「彼らに訊いた?」
 星川は頸を振った。
「人はそんなに優しくないです。誰も教えてはくれない」
「そんなものかな。今の若者たちは」
「そうです」
「しかし、例えば瞬間接着剤一つあれば、何処にでも隠せるだろう」
「ええ」
「壁にも床にも痕跡はなかったのかな」
「ありません。熟練の職人が技を使えば、隠すことは可能ですが、由香は職人ではないし、第一隠す暇がなかったです」
「天井は」
「由香の身長では無理ですし、脚立の代わりもないので除外しました」
「学生の誰かが肩車したのでは」
 星川は頭を振った。
「優しくないと言ったでしょう。誰もそこまで彼女のかたはもちませんよ」
「そんなものかな」
「そうです」
「例えば、黒板消しの中に隠すとか」
「そこも調べました」
「視聴覚の機械の中は?」
「調べました」
「黒板の裏」
「有りません」
 亀田は嘆息した。
「そうだな、由香が指輪を飲み込んだということは?」
「いいえ、それはないでしょう。彼女にしてみれば、トイレにでも流したい気持ちでしょうが、実践は避けるでしょう」
「すると難しくなってくるな」
「ええ」
 亀田は、気分転換にレコードを掛けた。タイガースオブパンタンのLPだった。
 騒音を聴きながら、彼は考え込んだ。
「いや、これは案外……」
「何ですか」
「ハロウィンの悪ふざけかもしれない」
「と仰有ると」
「彼女は、第二講義室の中に隠したと言ったのだろう」
「はい」
「試みに、ローマ字に直してみろよ」
「はあ?」
「DAINIKOGISITUNONAKA」
「分かりません」
「第二工技師。君達は工学部二年のエンジニアだ」
「第二工技師。TUNOとは?」
「角だよ」
「はあ?」
「其処でハロウィンの仮装をやっていた。赤鬼の仮面の角の中に、ダイヤの指輪を隠したのだろう、恐らくな」
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