竜星トライアングル ポンコツ警部のドタバタ日記

第1章 春

 桜の花がハラハラと舞散る通りを一人のおじさんが歩いていく。
そして彼は【大谷警察署】と書かれた建物に入っていった。 何かやらかしたのだろうか?
いやいや、そうではない。
実はこのおじさん、警部補なのである。

 彼が向かった先は捜査一課。 ここに彼は県警から派遣されたのである。
 「大森芳太郎、ただいま赴任しました。」 「おー、これはこれはご苦労様。」
課長の水谷信一郎が満面の笑みと冷ややかな目で彼を迎えた。
 「大森芳太郎と申します。 本日よりここ大谷警察署において警部補として赴任させていただきます。 よろしくお願いいたします。」
丁寧にお辞儀をする彼に対して捜査員の多くは(やれやれ、、、)という顔をした。
 58歳になる彼は本部では有名な昼行燈。
なぜか窓際に追いやられてしまって何となく警部補になったと噂の警官だった。
 まあ、彼が解決の糸口を掴んだ事件も無いことは無いのだが、とにかく何処へ行っても足手まといなのである。
 そんな彼が赴任してきたからには(ここもお払い箱になるのかなあ?」という溜息さえ聞こえてくる有様である。

 「まあまあ、大森警部補、気を遣わずにのんびりやってくださいよ。」
水谷はニヤニヤしながら彼に窓際の席を指差した。
 そこへ緊急連絡が、、、。 「傷害事件です。 現場は大谷中央バス停傍の雑貨屋です。」
「被害者は?」 「警部補は書類のまとめをお願いしますよ。 事件は我々が片付けますから。」
飛び出そうとした芳太郎を若い捜査員が押しとどめてこう言った。

 所在無さげに俯く彼に課長が、、、。 「この課は血の気の多いやつが多いですからなあ。」
「元気だってことはいいことですよ。」 「まあ、警部補も直々捜査には加わってもらうかもしれませんがねえ。 今はまだ、、、。」
 芳太郎は窓の外に目をやった。

 ここ、大谷警察署は繁華街の外れのほうに有る古い警察署である。
普段は事件らしい事件が起きないからか、冴えない警部がよく赴任してくるのである。
俗に切れ者と言われている警部や刑事たちは中之島警察署など凶悪事件が多い所に赴任するから大谷警察署など見向きもしない。
 昼行燈とかヒマワリとか呼ばれている何となく警部が赴任してくることから〈警官のお払い箱〉と呼ばれている警察署である。
 5時を過ぎると芳太郎もこれまた所在無さげに部屋を出る。 春だというのに彼の背中には冬の気配すら漂っているように見えてしまうのだ。
玄関を出ると警邏隊の車が勢い良くサイレンを鳴らして出ていく所だった。
それを見送ると最寄りの駅へ向かうのだが、連れも居ない中年警官は振り返りもせずに歩いていく。

 電車に乗り、吊革につかまっていると荒々しい男の声が聞こえてきた。
「ああ。 なんぼや? 八つか。 用意しとけ。 逃げるんじゃねえぞ。」 (何の話だろう?)
気にはなったが関わらないほうがいいと思った彼はまた窓の外に目をやった。
 三つほど駅を過ぎると彼が下りる横川北駅である。
 夕暮れの雑踏の中を歩いていると、焼き鳥を焼くいい匂いが芳太郎の鼻を擽って離れない。
「今夜も一杯やるか。」
前赴任地の帰りにもよく立ち寄った屋台が今も変わらずに駅前に店を出している。
まだまだ焼き始めたばかりと見えて客は居ないようだ。 「こんばんは。」
「おー、お巡りさんか。 今日もご苦労さんだねえ。」
親父さんは40そこそこの体の大きな男である。 「今夜も日本酒でいいかい?」
「すまないね。 仕事が終わって今帰るところだよ。」 「へえ。 今も中山警察署かい?」
「いや、今日から大谷に移ったんだよ。」 「この辺じゃあ荒いやつばかりだけど、あっちじゃあ何も無いだろう?」
「そうらしいですね。 おかげでお払い箱だって言われちゃいましたよ。 ははは。」 その笑う声もどこか寂しいのはなぜなんだろう?

 芳太郎には三つ年上の妻と23で死んだ娘が居る。 一人娘の芳子は警察官になりたがっていた。
「警官なんて怖いだけだぞ。」 「いいの。 友達の安奈が殺されたんだもん。 仇を取りたいの。」
「とはいうけど、勇ましいだけじゃ務まらないぞ。」 「でもさあ、、、。」
 そんな芳子が死んだのは2年前の冬だった。 当時、付き合っていた男に逆恨みされて殺されたんだ。
その事件はなんとか解決したが、彼には心残りが有った。
それは、、、。
「大森さんの気持ちは分かるけど、親族が殺されたんじゃ落ち着かないだろう。 ここは俺たちに任せて他の事件を当たってくれよ。」
古株の刑事の重たい一言で事件から離れたのだ。 (俺の手で犯人を捕まえたかった。)
飲むたびに芳子のことを思い出してしまう。 すると親父さんが酒を注いで出してくる。
「芳子ちゃん ずっとあんたのことを見守ってるよ 天国でな。」 「そうだよな。」
「負けたらいかん。 負けたら終わりだぞ。」
そう言って芳太郎が好きな皮を何本も焼いてくれるのだった。

 「大谷はどうかね?」 「どうかね?」
「あそこは使い物にならない昼行燈が集まってくるって言われてるけど、、、。」 「そうとは思えませんねえ。 初動はいいようですよ。」
「そうかい。 まあ、あそこは若い警官も多いからなあ。 あんたには厳しいかもね。」 クスっと笑う親父の視線の先にサラリーマンが歩いているのが見えた。
 しばらくすると、、、。 「キャー!」という悲鳴が聞こえてきた。
思わず芳太郎も立ち上がろうとしたが、「あんたは飲んでるんだから仲間に任せなさい。」と親父さんが制止してきた。
「刺されたぞーーーーー!」 ラッシュアワーのごたごたの中で男の声がした。
 芳太郎は居たたまれなくなって大谷署へ電話を、、、。 「分かりました。 すぐに行かせます。」
夜勤で待機していた警官たちが駅の周りに集まってきた。 もちろん、屋台にも、、、。
 「あれあれ? 大森さんじゃないですか。 もしかして退職されたんですか?」 一人の若い刑事が聞いてきた。
「若宮君、ぼくはまだ、、、。」 「そうでしたね。 大谷警察署に差し上げられたんですよね。」
「あ、、、、、、、、。」 差し上げられたとはこれまた、、、。
まるで阿弥陀仏の極楽浄土に往生したかのような、、、。
 数人の捜査員が走り回っている。 「あいつ、佐々岡じゃないか。 何で今頃?」
サラリーマンを刺したらしい女はすぐに取り押さえられたのだが、如何せん暴れまくっていて手に負えない。
それを見ていた屋台の親父さんが車に積んでいたロープを捜査員に渡してそれを使わせることにした。
「やっと静まりました。」 パトカーがサイレンを鳴らしながら走って行く。
刺されたサラリーマンは救急車に乗せられて搬送されていった。 それでもまだまだ聞き込みは続いている。
 「しばらく終わりそうにないなあ。」 「しょうがないよ。 傷害事件なんだもん。 それよりさあ、飲みましょうや。」
時計はまだまだ午後7時を過ぎたばかり。 ラッシュアワーの人波は駅で立ち往生を食らったせいか、出勤ラッシュのような混雑ぶりである。

 芳太郎は3杯目の日本酒を飲みながら皮を美味そうに食べている。 隣には混雑に巻き込まれて疲れた顔の男が座っていた。
ラジオは駅前のこの事件を速報で伝えている。 男は重傷らしい。
「一発であそこまでやれるとは、、、。」 「刺した女も慣れてるのかな?」
「さあねえ。 サラリーマンなんでしょう? 護身術なんて知らないだろうし、まさか、、、だよなあ。」
男は焼酎の水割りを飲みながら砂肝を齧っている。 何処かの社長のような風貌である。
 8時を過ぎても駅前の混雑は収まらない。 ロータリーの辺りにはまだまだ警官が立っていて交通整理をしている。
現場は保存され、人々はそこを迂回するように歩いている。
芳太郎はやっと席を立った。
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