Immoral
ある晩電話がかかってきた。

電話は付き合っていた彼の同僚、坂口からだった。私も何度か会った事がある。

「ミズキちゃん、久しぶり。」

「お久しぶりです。」

何だろうと訝りながら一言二言、坂口と話をした。別れた彼の話だ。

「ごめん、ちょっと代わるね。」

会話が途切れたところで突然坂口が言った。数秒後、元彼の声が電話口から聞こえてきた。

「ミズキ・・・」

呼びかけられたが私は返事ができなかった。凍りついたように受話器を握りしめ固まっていた。

「元気?」

私はまだ固まったままで一言も発する事ができなかった。殺気を感じて振り返ると後ろで母親が何かを察知して固い目で私を凝視していた。

無言の私に彼は続けた。

「あれからいろいろ考えたんだけどやっぱり俺にはミズキが必要だってわかったんだ。ミズキがいないとダメだって。」

そんな言葉も私を溶かさなかった。ただ彼の声に凍りついたまま何も言えずにいた。遠くの方から彼の声が聞こえてくる気がした。

「結婚してくれないか。ミズキ」

彼の言った事は私を揺らさなかった。何も言えなかった。

言いたい事はたくさんあった。

どうして今頃?
この電話は何?
どうしてあの時言ってくれなかったの?
苦しくて苦しくてたくさん泣いたのに・・・

やっと忘れて立ち直って動き出しているのに。
今になってどうして?
いったい何を言い出すの?
私が必要としている時は1人置き去りで。1人でやっと立ち上がったのに。

もう、いらないよ・・・

そんな思いが次々と沸いてきたけれどやはり一言も何も言えなかった。

どれくらい沈黙していたかわからない。母親が脇で私をにらんでいた。

「ごめん。無理・・・なんだね。」

何も答えられなかった。そのままずっと沈黙が続いた。

「じゃ、切るね。」

ようやく彼はそう言うと電話を切った。母親が

「覆水盆にかえらずと言うのよ。終わったものはどうにもならない。終わりにしなさい。」

と冷たく言った。

「わかってる。」

私は答えたが何か考えられる様な余裕はなかった。

そして何もなかったように夏が過ぎていった。

7月にはやっと3つ目の内定を取って4月からYTカンパニーに就職する事が決まった。

大学はすでに前期も終わり後は卒論に集中するだけだった。

家を改築する事になったり、ゼミ合宿があったりと就職が決まった後も何かとバタバタと過ごしているうちに彼の事も完全に忘れた。
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