【完結】「暁光の世から消えて死ね」 〜教会を追放された見世物小屋の聖女は、イカれた次期覇王の暫定婚約者になる。(※手のひら返しで執心されています)〜

30話:婚約者





 真紅の眼光がふらっと揺れ動いた瞬間、シャノンを痛めつけていた男が反対の壁まで吹っ飛んだ。……文字通り、高く浮いて飛んだのである。


「ぐああっ!! ……う、な、なんだっ!?」
「……」


 シャノンは痛む体を少しだけ起こして見上げる。

 すぐそばには、ルロウが立っていた。恐ろしく感情を消し去った横顔。漂う空気は極寒のように冷え切っており、この場にいるだけで肌がざわざわと粟立ってしまう。


 ちら、と。
 ルロウの視線がシャノンを向いたと思ったら、音もなく彼はシャノンの目の前にやってきた。


『ここで、いい子に待ってろ』


 ルロウは肩に掛けていた羽織でふわりとシャノンを包み込み、持ち上げて男が吹っ飛んだほうとは逆の壁に寄りかからせると、静かに囁いた。

 西華語で喋りかけていることには気づいていないようである。
 
 立ち上がったルロウは、いまだ衝撃で蹲る男のもとに歩いていく。
 目にも留まらぬ早さで顎を蹴り上げ、さらには弾かれたように浮き上がった上半身に横蹴りをくらわせた。


「お前、まさかっ、ルロウ・ヴァレ――」

『抉りとって潰されるのと、このまま踏みつけ潰してやるの、どっちがいいか言ってみろ』

「ぐ、あっ、ぎゃああああ」

『聞くに耐えん家畜のような声なんぞ要らない。人の言葉を話せ』


 耳を塞ぎたくなる打撃音と、男の喚きが交互に届く。


「お、おい……まずいぞ。ダリアン様から首謀者は生け捕りって言われてるのに、あれじゃ」

「でもよ、止められねぇよ。今のルロウ様を邪魔したら、敵味方関係なく殺されるって……っ」

「ダ、ダリアン様はこちらにいらっしゃらないのか……!?」


 客席の貴族たちを捕縛し、舞台袖に駆けつけたルロウの部下たち。彼らはルロウの様子を目にすると、顔面蒼白になって動きを止めてしまう。

 そうしているうちにルロウは男に手をかけようとしていた。すでに顔の原型をとどめてない男の左胸に足を置き、ぐりぐりと踏みつけるように力を込めている。

「ルロウ、待って……!」

 振り絞った力でルロウの背にしがみついたシャノンは、意を決して暴走を止めに入った。


 ルロウが誰かを殺しているところを見たくない――などと、甘い考えがあったわけではない。

 そんな綺麗事は言わない。自分はすべてに対して善人になることはできないし、ハオとヨキにあれだけ酷いことをした男の安否などどうでもよかった。
 それでも必死に止めようとしているのは、今はまだ命を奪うときではないと冷静に考えたからだ。


『…………』

「ルロウ……?」

『いい子に待っていろと、言わなかったか』

「あのね、ルロウ。さっきからずっと西華語で話していて、何を言っているのか分からないです」

「……ああ、そうか。ならば、仕方ない」


 やはり無意識下で言葉を変えていたようだ。
 シャノンの言葉を耳にすると、ルロウの張り詰めていた気配がだんだんと緩んでいった。


「おまえたち、こいつを縛っておけ」
「は、はい!」
「すぐに!」


 はあ、と深く長い息を吐いて平静を取り戻したルロウは、部下に指示を出すと、シャノンを抱えて舞台袖を後にした。


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