世界樹の下で君に祈る

第6話

「それなら、ちょうどよかった。出来ればこの機会に、あなたから受けた誤解も解いてしまいたいのでね」
「私は誤解など、何もしておりませんけど?」

 引き寄せられた距離が近すぎるせいで、紅い目がじっと見つめるのに逃れられない。

「あなたから仲良く接していただけないのは、寂しいものです」
「誤解があるのは、リシャールさまの方ですわ」
「それはどうして? 私はこんなにもあなたをお慕いしていると……」

 ドン! 大きな爆発音。
聖堂の内部から吹き出した爆風が、一階実験室の全ての窓ガラスを吹き飛ばす。
白煙が立ち上ったかと思った瞬間、オリブの実の焼け焦げたような臭いが、辺りに充満した。
乙女たちの悲鳴が上がる。

「マレト、すぐに避難指示を」

 リシャールは私の肩をマレト施設長に押しつけると、聖堂に向かって走り出した。

「待って、リシャール!」

 彼の向かう先に、火の手が見える。
白く沸き立つ煙は、あっという間に黒く色を変えた。
中にいた者たちが、一斉に外へ飛び出してくる。
リシャールは迷うことなく、火元である実験室へ向かっている。
私もそこへ走った。

「出入り口はここだけか?」

 追いついた私に、彼が尋ねる。

「もう一つ、奥にもあるわ」
「ならいいだろ!」

 彼は入り口を塞ぐ扉を、一撃で蹴破る。
実験室の中は、爆風の吹き荒れたせいで物が散乱していた。
燃えさかる炎の前で、まだ残っていた数人の生徒たちが、火を消そうと躍起になっている。

「すぐにここを出なさい! 身の安全が先だ」

 彼はすぐ横にあったすり鉢を持ち上げると、火の上にかぶせた。

「さぁ、早く!」

 残っていた少女たちが走り去る。
様々な器具や薬品を並べた実験棚の向こうに、飛び散った炎が散在している。
それなのにまだ残って何かをやっている生徒がいる。

「リンダ!」

 彼女は脚立の上に立ち、複雑にくみ上げた実験装置の、最上部にある瓶に手を伸ばしていた。

「君もすぐ逃げなさい!」
「ダメよ! この薬品は、世界でここにしかないものなの。長い時間かけて、ようやく抽出したものなの。だから置いていくわけには……」

 パリンとガラスの割れる音が聞こえる。
炎に煽られ、熱に耐えきれず割れた薬瓶から液体が流れ出す。
そこにも火がついた。

「リンダ! もういいから、そこから降りて!」

 伸ばしきった震える指先が、茶色のガラス瓶に触れた。
彼女は実験装置からその器具を外すと、素早く栓を閉める。
ドン! 再び強い爆風が駆け抜けた。
前が見えないほどの白煙が立ちこめる。

「リンダ!」

 さっきまですぐ目の前にあった、彼女の姿が見当たらない。
煙の中に飛び込もうとした私の腕を、リシャールは掴み引き戻した。

「これ以上は無理だ。ルディ、とりあえずここを出よう」
「ダメ! リンダを置いて行けない!」
「君の安全の方が先だ」

 リシャールは私を抱きかかえると、入って来た扉へ向かって動き出す。

「いやぁっ! リンダと一緒じゃなきゃ、ここから出ない!」
「落ち着け!」

 燃えさかる紅い目が、私を入り口の廊下へ押しつけた。

「君は王女だ。しかもこの聖堂に通う、将来は聖女となる希少な存在だ。こんな火事なんかで、聖女となる人を失うわけにはいかない」
「私は聖女なんかじゃない。私は聖女なんかじゃないの!」

 ポケットに忍ばせていた、樹液の結晶を取り出す。
聖女となる者が触れれば光るはずのそれは、無惨なまで白く濁ったままだった。

「聖堂に通う乙女としての資格はなくとも、王女という肩書きだけで私はここにいるの。他のみんなはちゃんと本物よ。リンダも! だからこそ、私が彼女たちを助けに行かなくちゃならないの!」

 再び煙の中に飛び込もうとした私を、リシャールは強く引き戻す。

「だとしても、この国の王女であることに変わりはない」
「あなたも王子ですわ!」
「俺はいい」
「どうして!」
「いいから、ここで動くな!」

 紅い髪が再び煙の中へ飛び込んでゆく。
すぐに追いかけようとした私を阻んだのは、城を守る兵士たちだった。

「ルディさま。早く避難を!」
「放しなさい!」
「それは出来ません」

 どれだけ振り払おうとしても、私の力ではどうにもならない。

「中に、中にリシャールさまとリンダが!」
「我々にお任せください」

 駆けつけた兵士たちが、次々と白煙立ちこめる実験室へ飛び込んでゆく。
有無を言わさず屋外へ連れ出された私には、もう見ていることしか出来ない。
誰よりも彼女たちの側にいて、必ず守ると誓ったのに!

「ルディさま!」

 マレト施設長が、震える手で私を抱きしめた。
いつも穏やかな彼女が大粒の涙をこぼしながら、ただただ声を殺し泣いている。
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