世界樹の下で君に祈る

第3話

 お姉さまは純白の衣装に、波打つ金色の髪を毅然となびかせる。

「いいのよルディ。リシャールさまも、妹を許してやってください」
「もちろんですとも。エマさまにお願いされては、断る理由もございません」

 紅い目が礼儀的にでも微笑んだのを見届けると、マートンはひざまずき、私に向かって手を差し出した。

「えっ。よ、よろしい……ですの?」

 マートンがダンスに誘ってくれた? 本当に?

「もちろんだよルディ。僕と踊ってくれるかい?」

 マートンが一番に私をダンスに誘ってくれるのは、初めてだ。
本当なら今すぐにでも飛びついて大はしゃぎしたいけど、今はその気持ちをぐっと堪える。

「マ、マートンは……、本当に私でよろしくて?」
「もちろん。僕がルディと踊りたいから誘ってるんだ」

彼の深く落ち着いた緑の目が、私を見上げる。
マートンが私をダンスに誘ったことを見届けると、お姉さまはリシャールと踊り始めてしまった。
ずっと憧れていた彼の手に、恐る恐る手を伸ばす。
それが重なった瞬間、マートンは力強く私を引き上げた。

「はは。これくらいのことで取り乱して落ち込むなんで、ルディらしくないじゃないか。いつもの元気なルディさまはどうした?」
「だって今日は、マートンとの……」

 婚約発表をするつもりだったのに。
まだそのことを知らない彼に、私から話すわけにはいかない。

「お姉さまは、マートンと一番に踊りたかったんじゃない?」
「エマがこんなことで、誰かに腹を立てたりすると思う? ダンスの順番なんて、気にするようなことでもないさ」

 それはそうかもしれないけど、慣習として最初にダンスを踊るのは、パーティーの主催者と、その出席者の中で一番身分が高い人と決まっている。
第一王子である彼がお姉さまと踊るのは、だから間違ってはいない。
それでもお姉さまの気持ちを考えると、マートンと踊りたかったはずだ。

 音楽は流れ続ける。
他の参加者たちも、それぞれに踊り始めていた。
私はマートンの腕の中で、すっかり縮こまっている。
ごめんなさい。
二人の邪魔をするつもりはなかったの。

物心ついた頃から、マートンはエマお姉さまのものだった。
私は単なる「妹」でしかないことを、誰よりも自分がよく知っている。
このダンスの誘いだって、お姉さまとレランドの第一王子であるリシャールさまの体面を保つためだ。
二人には幸せな婚約発表を迎えてほしかったのに……。
そのお姉さまは、今はリシャール殿下と踊っている。

「マートンが私を最初にダンスに誘ってくれるのは、初めてね」
「え? そうだっけ?」
「初めてよ。だってマートンは、いつだってお姉さまが一番なんだもの」
「まぁ、そこは否定しないけどね」

 クスッと微笑んだその笑顔が眩しすぎて、思わず顔を伏せる。
耳まで赤くなっていることを、どうかこの人に気づかれませんように。

「ねぇ、マートン。レランドって、どんな国なの?」
「ここブリーシュアから遙か南西にある、とても小さな国だ。いわゆる世界樹の恩恵が届かない、辺縁の土地だよ」

 この世界は、世界樹によって守られている。
生きた世界樹の葉からこぼれ出るアロマが行き届く範囲だけが、魔物を生み出す瘴気を退ける。

「じゃあ人が住むのも、難しいってこと?」
「世界樹の研究が進んでいることは、ルディも知ってるよね」
「えぇ」

 その世界樹と呼ばれる樹は、「聖女」と呼ばれるごく一部の素質をもつ乙女が、祈りを捧げることでしか大きく育たない。
かつては「魔力」とも「呪い」とも呼ばれていたその力が、乙女の命を削り世界樹を育てる。
聖女の位を授けられるのは、その資質を持って生まれてきた者だけだ。

「レランドは、聖女研究や保護がまだまだ進んでいない国だ。世界樹の育ちにくい土地で、聖女たちの命を削ることなく瘴気を払えないか。きっと彼がエマに会いに来た理由は、そんなところにあるんじゃないかな」

 私と踊っている最中でも、彼の目はお姉さまを探し続けている。
曲の終わるタイミングで、マートンはもう一度お姉さまをいる場所を確認した。
レランドの第一王子であるリシャールは、ダンスが終わり互いにお辞儀をしたところで、聖女であるお姉さまの手を取る。
私たちはそれを横目に見ながら挨拶を交わした。

「レランドの王子も、だったら普通にちゃんと支援の申し入れをすればよろしいのに。それをこんなやり方をするなんて……」
「辺境国はレランドだけじゃないからね。そう簡単にはいかないさ。一度も枯れたことのない世界最古の世界樹を持つブリーシュアに、各国から支援の申し込みは後を絶たない」

 ダンスを終えたお姉さまに、リシャールがお茶を勧めている。
その立ち居振る舞いは、どこをどう見ても完璧な王子とお姫さまだった。

「ルディ。僕はそろそろエマを助けに行くよ。きっと彼女も困っている」

 マートンはついさっきまで私に添えられていた腕をあっさりと振りほどくと、突然現れたライバルの元へそわそわと近づいてゆく。
マートンにとって、多分これは初めての経験なのだ。
幼い頃からずっとお姉さまに寄り添ってきた彼にとって、自分以外の男性がお姉さまに近づくなんてことは、ありえなかった。
二人の様子が気になるのも、痛いほど分かる。

「私もお助けに参りますわ!」

 それでも私だって、二人を応援する気持ちは変わらない。
お姉さまの公務が本格的に始まってしまえば、ナイトであり婚約者であるマートンとも、頻繁に会えなくなる。
どれだけ想っていたって、五つも歳の離れた彼の目に「妹」としか映ってないのなんて、十分すぎるほど知り尽くしていた。
それでも、どんな理由であっても、出来るだけ長くマートンとお姉さまの側にいたい。
大好きな二人のために、出来ることならなんだってする。

 今日のために新しく仕立てたド派手な赤いドレスの裾を掴むと、現場に駆け込んだ。
マートンはお姉さまにピタリと寄り添う王子に、果敢に挑んでいる。
伯爵家であるマートンの身分を考えると、とても太刀打ち出来る相手ではない。
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