ブラックコーヒーに角砂糖一つ

1. 曇り後晴れ

 駒田社長、このままでは債務不履行で訴えざるを得ませんよ。」 「そこをなんとか、、、。」
「とは言うけれど、差し詰め補填してくれる相手も居ないんでしょう? だったら払えないじゃないですか。 どうするんですか?」
今は会議の最中である。 不景気の煽りを食らって商売がなかなか軌道に乗らない。
そこへ卸先が倒産してしまったものだから売り掛けの回収が出来ずにいる。 これさえ回収できれば債務も解消できるのだが、、、。

 秘書室も額を集めてはあちらこちらを駆けずり回って話を進めようとしてくれている。 ところが、どれもこれもうまくいかない。
終いには「あんたらの体を売ったら幾らになるかね?」などと聞いてくる債権者まで押し掛けてくる始末である。
私はホトホト困り果てていた。 自身の保険を当てようかとも思って自殺を仄めかしたことも有ったのだが、、、。
「社長、それだけはいけません。 社長が死ぬことでこの会社はさらに打撃を受けます。 立ち直れなくなります。 苦しいかもしれないけれど、今が耐え時です。」
秘書の山室京子は私の自殺を決して認めようとはしなかった。 それどころか、妻のように庇ってくれていたのである。
 毎朝、彼女は私に言うのだ。 「体当たりでこの難局を乗り越えましょう。 必ず道は開けます。 信じてください。」と。
そんな彼女を知らない間に私は愛していた。 心だけでなく、その全てを。
 この会社が操業を始めたのはかなり古くて、明治時代にまで遡るそうだ。 私はその5代目。
もともとは綿を売っている問屋だった。 それを大正時代ごろから制服や文房具まで扱うような総合店にしたのである。
大東亜戦争も何とか潜り抜けてきた。 平成不況も身を削りながらなんとかやってきた。
ところがね、今度の新型コロナとかいうやつはまったく先が見えないんだ。 どうすればいいのか分からない。
おまけに移動制限まで掛かったものだから物を動かそうにもいちいち気を使って大変なんだよ。 運送屋なら分かるだろう?
 それで取引先が次々と倒産してしまった。 もちろん、国から補助金なんて出やしない。
倒れたかったら勝手に倒れちまえって思ってるんだろうなあ、あいつらは。 だって、俺たちが苦しんでいても財布が痛むわけでもない。
「苦しいですねえ。」 「大変ですねえ。」 「頑張ってくださいよ。」って涼しい顔をして平気に挨拶をしに来る。 一度などはぶん殴って追い返してやろうかと思ったくらいだ。
 やつらは日頃から億だの兆だのってどでかい金を扱ってるものだから、1万円がどれくらい大切な物かを知らない。
だってさ、小遣いが10万とか100万とかいう世界なんだろう? 俺たちは何千回生まれ変わっても覗き見すら出来ない世界だよ。
たまにゃあな、一か月10万で暮らしてみやがれ。 下っ端でさえ国民の生活というやつを知らないんだからなあ。

 文句ばかり言っても始まらん。 この会社の再建をどうするか、、、。
売ってしまえばいいって言う分からず屋も居るが、借金だらけの会社なんて誰が買うかってんだ。 薄っぺらい同条は要らないよ。
お情けを買うほど俺は馬鹿じゃないからね。 だからこそ手を尽くしているんだが、、、。
 京子は今日も秘書室であれやこれやと連絡を取り合っている。 債権者との交渉を預ける弁護士との相談も彼女だ。
中堅社員たちがボロボロと抜けていく。 頼りにしていた連中がここぞとばかりに去っていく。
少し前まで秘書室も賑やかだった。 でも今は、、、。
まあ、泣き言は言うまい。 京子は今日も先頭に立って動いてくれているのだ。
そんな彼女でも夜になると一人だからか、毎晩のようにバーで飲んでいるという。 別にお目当てが居るわけでもない。
誰かを待っているわけでもない。 ただただ時間を潰して飲んでいる。
古くからやっている店でね、飾りも無いし、噂にもならない店だ。 その隅っこで彼女は飲んでいる。
ぼんやりと何かを見詰めながらね。
 そんな店、スイートに俺も呼ばれて行ってみた。 なるほど、飾りなど無い地味な店だ。
「ここで毎晩飲んでるの?」 「そうなんです。 なんか落ち着かなくて、、、。」
水割りを飲みながら京子は何かを考えている。 今だけは仕事のことなど忘れていたい。
何処かに体も心も癒されるような出会いは無いものか? 京子は今夜も寂しそうに飲んでいた。

 俺には三つ下の妻が居る。 自分でブティックをやっている元気な女だ。 時々は他の店にも行って気に入った服を買ってくる。
(どうするんだろう?)と見ていたら自分の店に飾っていた。
 「あなたも大変ねえ。 でもね、踏ん張るしか無いのよ。 私だって転んだり起きたりさんざんやってきたんだから。」
そうは言うけど規模が違い過ぎるだろう。 個人の店と問屋を比べるなって。
 世間はパンデミックで大騒ぎをしている。 三密がどうのとか言って騒いでいる。
思うけどさあ、くっ付いても感染しない人は感染しないんだよ。 そんなもんだ。
 中国から広がったって言ってるよねえ。 ほんとに中国なの?
でも確かに武漢の辺りで最初の騒ぎが起きていた。 それを捻り潰したのは中国だ。
さんざんにやらかしておいて他人のせいにするなんてひどい国だよなあ。 たまには自分で尻拭いくらいしろって。
どうせ、まともな対応は出来ないんだろうよ。 出来たら喚いたりしないよな。
どうしようもない国だぜ。 あーーーーーあ。

 飲みながら京子は何を考えているのだろう? 隣に座っている俺は何気に彼女の顔を覗き込んだ。
彼女も俺ももう55歳。 定年間近の中年である。
聞いてみると彼女は三度の結婚に失敗していた。 そしてそれぞれの子供たちを苦しみながら育てていた。
長男 聡は最初の旦那の子で、今はガソリンスタンドで働いている。 妻と二人の娘が居る。
 長女 和佳子は二番目の旦那の子で実は妹だった。 姉は生まれることが出来ずに流産してしまったのだ。
だけども、和佳子が大人になるまでそのことは伏せていたという。
それを聞いた和佳子はショックのあまりに家を飛び出してしまった。 気持ちはよく分かる。
 次男の幸太郎は三番目の旦那の子で今は大学生だ。 経済学部に進学したらしい。
経済学の教授にでもなるのだろうか? ママがやってきた。
「こんばんは。 ご機嫌いかがですか?」 物腰の柔らかな人である。
「お初にお目にかかります。 今後ともよろしくお付き合いください。」 隣の客がママを呼んでいる。
「ではラストまでごゆっくりなさってくださいね。」 後ろ姿も何だか優雅さを感じる人である。
京子は何杯目かの水割りを飲んでいる。 「飲むねえ。」
「だって明日は休みだから、、、。」 「それもそうだ。」
「奥さん、寂しがってないですか?」 「なんのなんの、息子が居るから大丈夫だよ。」
「それはそうでしょうけど、、、。」 不意にタバコに火を点ける。
「あれ? 京子さんってタバコ吸うんだっけ?」 「私だって吸いますよ。 毎日が大変だから。」
(そうだろうな、、、。 子供が多くてしかも結婚に失敗してるんだ。 引け目も有るだろう。 よくやってるほうじゃないか。)
俺もグラスを持った。 ドアが開いて客が入ってきた。
ママもそれに気付いて奥のボックスへと消えていった。 (馴染みの客らしいな。)
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