幸せでいるための秘密



 重い足取りで家に帰ると、ソファで樹くんが伸びていた。

 伸びていたというのは比喩じゃない。スーツのジャケットとベルトを放り出し、シャツをくしゃくしゃにしたまま、仰向けになって文字通りびろんと伸びている。片腕は目を覆い隠すように曲げて、どうやら居眠りでもしていたらしい。

「ただいま……?」

「おかえり」

 あ、起きてた。

 私は鞄を傍へ置いて、樹くんの近くに膝を突く。

「大丈夫? 仕事大変だった?」

「大変も何も、関係ない雑用まで全部押しつけてきて、……」

 緩やかに腕を除けた樹くんが、まばたきをして私の姿を凝視する。

 そしておもむろに身体を起こし、彼は私の腰を抱き寄せると、

「可愛い」

 と言って、スカートをふわと広げてみせた。

「このワンピース、もしかして新しく買ったのか?」

「う、うん。よくわかったね」

「こんな可愛い格好初めて見た。いや、百合香はいつも可愛いけど……」

 ぶつぶつと上司への怨嗟の声を漏らしながら、樹くんが私のお腹に顔をうずめてくる。くすぐったいし恥ずかしいけど、ちょっと可愛いなんて思うのだから、私も大概重症だ。

「美術館、どうだった?」

 その瞬間、桂さんの顔がフラッシュバックして喉から変な音が漏れた。

「ええと……面白かったよ。普段見慣れないものをたくさん見れて」

「そうか、ならよかった。誰と行ったんだ?」

「……友達。半券もらってきたけど、いる?」

「いや、いい」

 心臓がバクバクしているの、ばれていないだろうか。

 そんなに後ろめたいことがあったわけではないのだけど、やっぱり隠し事というのは心臓に悪い。まして、あんな……聞きようによっては告白とも捉えられかねないことを言われたばかりだ。

 腰へ回った樹くんの手が、私の身体を引き寄せる。そのまま膝をソファへ乗せて、樹くんの両足をまたぐ形で、彼の上へと座らせられる。

 下から見上げる樹くんの、挑発的な鋭い瞳。世界できっと私しか知らない、スイッチの入った彼の顔。

「このワンピース、次のデートで着てほしい」

 鼻先をこすり合わせながら、樹くんが甘くねだる。

 ざわめく心を見通されてしまうのが怖くなって、私は樹くんの頭をぎゅっと両手で抱きしめた。彼の髪に鼻をうずめて「いいよ」とくぐもった声で囁く。

 腕の中の樹くんが、小さく笑ったのがわかった。彼の長い指が背中に回る。わかりきっていたことみたいに、私は少しだけ背中をそらす。

 背中のチャックが下げられていく鈍い音を聞きながら、私は不安を振り切るみたいに樹くんの首筋にキスをした。
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