幸せでいるための秘密
*
「――説明してくれ」
生きた心地がしない。
いや、いっそ死んでしまえればいいのかもしれない。
自分がどうやって帰ってきたのか、まるで思い出せそうにない。ただ、気づけば同棲している家の、リビングの隅に震えながら立っていた。
「……ごめんなさい」
「説明を」
ソファに腰かけた樹くんは、感情のない目で私を見る。
「してほしい」
「……はい……」
震える口を叱咤しながら、私は少しずつ言葉を吐き出す。ストーカーから逃げているとき、偶然助けてもらったこと。何度かお見舞いに行くうちに、少しずつ親しくなったこと。
「そんなに前から」
半ば唸るような声でそう低く漏らしてから、樹くんは片手で額を押さえ目を閉じた。眉間に深く刻まれたしわ。苦しそうに漏れる吐息。
桂さんのご家族のことや、飛び降りると言われた件についても、洗いざらい話してしまった。今の私にできることは、すべて打ち明けて許してもらうこと以外にない。桂さんだって、咎める権利はないはずだ。
見たこともないほど血の気のひいた顔で、樹くんはずっと俯いている。
「あの言葉は、本当なのか」
――これで、キスは二度目だね。
桂さんの嘲笑が蘇る。そして、昨夜の言葉も。夢じゃ終わらせないよ、と笑って言い添えられた真意に、どうして私は最後まで気づけなかったのだろう。
樹くんを呼びつけたのも桂さん? だったら一体、何のために?
真っ青な顔で黙る私を、樹くんは肯定ととらえたらしい。膝の上で組んだ指先に青筋が浮かんでいる。ぱき、と何かの割れる音がして思わず視線をそちらへ向けると、樹くんの左親指の爪に一筋の亀裂が入っていた。
「……桂と寝たのか?」
「違う!」
張り裂けるほどの大声にも、樹くんは眉一つ動かさない。
でも、これだけは否定しなければいけない。私は脂汗を流しながら、必死になって言い募る。
「それだけは絶対に無い! 寝るときだって別の部屋を借りたし、シャワーも備え付けのを使った。さっきのだって……その……寝ているときに、……」
ああだめだ。馬鹿な女。寝ているときにと言ったところで、私は全部わかっているじゃないか。夜に紛れた桂さんの訪れを、すべて夢の中の出来事だと、自分に都合よく変えようとしたのは紛れもなく私の方じゃないか。
鼻につんとした痛みが走り、血のにじむほど唇を噛む。堪えろ。泣くな。私は泣いていい立場じゃない。
本当に泣きたいのは樹くんの方だ。
「どうして」
両手の中に顔を伏せた樹くんが、絞り出すような声で言う。
「どうして、桂なんだ……」
……その声が、あまりにもよく似ていたから。
私は昨日のことを思い出す。僕はここから飛び降りる、と虚ろな瞳で言った桂さんも、同じような声をしていた。
「桂さんのことを知ってるの……?」
私のか細い問いには答えず、樹くんは沈黙の後、長く深いため息を吐いた。眠れない夜を何度も経たような、色濃い疲労のにじむ顔。半ばまで伏せた切れ長の瞳に、底知れない闇が匂い立つ。
「百合香」
喉元に剣を突きつけられた思いで、私はその場で縮み上がる。
樹くんはゆっくり足を開くと、自分の足の間を顎で指した。
「座って」
「――説明してくれ」
生きた心地がしない。
いや、いっそ死んでしまえればいいのかもしれない。
自分がどうやって帰ってきたのか、まるで思い出せそうにない。ただ、気づけば同棲している家の、リビングの隅に震えながら立っていた。
「……ごめんなさい」
「説明を」
ソファに腰かけた樹くんは、感情のない目で私を見る。
「してほしい」
「……はい……」
震える口を叱咤しながら、私は少しずつ言葉を吐き出す。ストーカーから逃げているとき、偶然助けてもらったこと。何度かお見舞いに行くうちに、少しずつ親しくなったこと。
「そんなに前から」
半ば唸るような声でそう低く漏らしてから、樹くんは片手で額を押さえ目を閉じた。眉間に深く刻まれたしわ。苦しそうに漏れる吐息。
桂さんのご家族のことや、飛び降りると言われた件についても、洗いざらい話してしまった。今の私にできることは、すべて打ち明けて許してもらうこと以外にない。桂さんだって、咎める権利はないはずだ。
見たこともないほど血の気のひいた顔で、樹くんはずっと俯いている。
「あの言葉は、本当なのか」
――これで、キスは二度目だね。
桂さんの嘲笑が蘇る。そして、昨夜の言葉も。夢じゃ終わらせないよ、と笑って言い添えられた真意に、どうして私は最後まで気づけなかったのだろう。
樹くんを呼びつけたのも桂さん? だったら一体、何のために?
真っ青な顔で黙る私を、樹くんは肯定ととらえたらしい。膝の上で組んだ指先に青筋が浮かんでいる。ぱき、と何かの割れる音がして思わず視線をそちらへ向けると、樹くんの左親指の爪に一筋の亀裂が入っていた。
「……桂と寝たのか?」
「違う!」
張り裂けるほどの大声にも、樹くんは眉一つ動かさない。
でも、これだけは否定しなければいけない。私は脂汗を流しながら、必死になって言い募る。
「それだけは絶対に無い! 寝るときだって別の部屋を借りたし、シャワーも備え付けのを使った。さっきのだって……その……寝ているときに、……」
ああだめだ。馬鹿な女。寝ているときにと言ったところで、私は全部わかっているじゃないか。夜に紛れた桂さんの訪れを、すべて夢の中の出来事だと、自分に都合よく変えようとしたのは紛れもなく私の方じゃないか。
鼻につんとした痛みが走り、血のにじむほど唇を噛む。堪えろ。泣くな。私は泣いていい立場じゃない。
本当に泣きたいのは樹くんの方だ。
「どうして」
両手の中に顔を伏せた樹くんが、絞り出すような声で言う。
「どうして、桂なんだ……」
……その声が、あまりにもよく似ていたから。
私は昨日のことを思い出す。僕はここから飛び降りる、と虚ろな瞳で言った桂さんも、同じような声をしていた。
「桂さんのことを知ってるの……?」
私のか細い問いには答えず、樹くんは沈黙の後、長く深いため息を吐いた。眠れない夜を何度も経たような、色濃い疲労のにじむ顔。半ばまで伏せた切れ長の瞳に、底知れない闇が匂い立つ。
「百合香」
喉元に剣を突きつけられた思いで、私はその場で縮み上がる。
樹くんはゆっくり足を開くと、自分の足の間を顎で指した。
「座って」