幸せでいるための秘密
 波留くんはしばらく難しい顔をしていたけど、やがて根負けしたみたいに「わかった」と低くうなずいた。

 とりあえず、今話しておかなきゃならないことはこれですべてかな。私がひと段落ついたのを見て、ここぞとばかりに波留くんが背筋を伸ばす。

「じゃあ、俺からふたつ」

 なんだろう。GPSアプリなら嫌だなぁと身構えたけど、

「ひとつ。名前で呼び合いたい」

 思ったよりもまともな提案に、正直拍子抜けしてしまった。

 ああ、そうか。恋人同士だもの。昔お付き合いしていた頃は、確かにお互い名前で呼び合っていた気がする。

 期待のまなざしで見つめられて、少しお尻がむずむずする。

「い……つき、くん」

「百合香」

 切れ長の瞳を弓なりに細め、波留くんは……樹くんは、心から嬉しそうに微笑んだ。

 たったこれだけのことなのに、私の顔がみるみる桃色に染まっていく。どうしてだろう。昔はもっと、自然な感じで名前で呼び合っていたはずなのに。

「ふたつ。遠慮しないで、いつでも俺を頼ってほしい」

 これはもう、今まで何度も繰り返し言われていたことだった。

 遠慮しすぎない。卑屈にならない。甘えるときはきちんと甘える。

 私たちはただの友達から、恋人に逆戻りした。今までよりもずっと堂々と頼りあっても良い間柄だ。

「わかった。何かあったら、きちんと相談する」

「ああ」

「樹くんもだからね。ちゃんと私に相談してね」

「そうさせてもらう」

 扉の開く音がして、濡れた髪をタオルでまとめた椎名くんがリビングへ来た。向かい合って座る私たちへ目をやり、隣を素通りして冷蔵庫からビールを取り出す。

「条件のうち3分の2が俺ってちょっと笑えるね」

「聞こえてたの?」

「まあ。そんなに気を遣われなくてもいいけど、中原が俺に優しくしてくれるならちょっと期待しちゃおうかな」

 言いながら椎名くんの視線は樹くんへ。これは間違いなく、私をからかうふりをしながら樹くんをおちょくっている顔だ。

 そして案の定、樹くんはこめかみにわかりやすく青筋を立てて椎名くんをじいっと睨んでいる。でも一応、これは我慢している方なのかな? 椎名くんに優しくしてねと、しつこく言ったのが多少は効いているのかもしれない。

「料理でも掃除でもなんでもやらせていただきますとも」

 私が両手で力こぶを作ると、椎名くんは少し苦笑して濡れた前髪をかきあげた。

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