転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~

7 離れるのはこわいです

 夢の中で、ジーンは大樹から伸びる枝の木の葉になっていた。
 大樹は色鮮やかに紅葉し、ジーンは風と遊びながら舞い降りる時を待っていた。
 緑や茶や赤や黄色、様々な色の葉が木々を雪のように掠めていく。太い枝には落ち葉がこんもりと積もって、風が吹くと落ち葉たちが笑いながら踊る声が聞こえていた。
 ふとジーンが落ち葉の山に視線を向けると、その中に巨大な鳥がうずくまっているのが見えた。
 灰色の翼と金色の目を持つ鳥は時折うめいて、震えながら体を起こそうとする。どうやらどこか怪我をしているようだった。
 大樹の枝を渡って来る軽やかな足音が聞こえた。
「フェルニル?」
 大樹の陰から現れて灰色の鳥をみつけたのは、緑がかった金髪に紫の瞳の、伸びやかな手足を持つ少女だった。
 彼女は巨大な鳥に一瞬息を呑んだが、すぐに駆け寄ろうとする。
「お怪我をなさっているのですね? すぐに手当てを」
「……私に触れるな!」
 少女を鋭く怒鳴って、灰色の鳥は震えながら飛び立とうとする。だが余程弱っているのか、足を立たせることも叶わない。
「聖獣様、どうぞ動かないで。御体には触れません!」
 もがく鳥を、紫の瞳を持つ少女は慌てて制止する。その言葉を聞いて、鳥は身動きを止める。
 灰色の鳥は顔を上げて少女を見る。
「私の言霊がわかるのか?」
「はい」
 低く問いかけた鳥に、少女は頷く。
 灰色の鳥は惜しむようにつぶやいた。
「……そうか。主がいるときであれば、マナトになったのだろうな」
 考えに沈む灰色の鳥の前で、少女も何かを考え込んだようだった。
「私に何かできることはありませんか?」
 少女は胸を押さえて切り出す。聖獣という存在を目の前にしても、恐れのない真っ直ぐな目だった。
 灰色の鳥はそれを静かな目で見つめ返して、そっと問う。
「名を何という?」
「ヴァルキュリアと申します」
 はきはきと答えた少女に、灰色の鳥は身を屈めた。
 灰色の鳥は体にくちばしを差し込んで、自らの羽根を二本引き抜いて少女に示した。
「そなたに私の力を貸し与えよう。私の体が治るまでの間、この力で魔獣たちから大樹を守るのだ」
 少女は目を見開いたが、決心したように頷くと灰色の鳥の前に跪いた。
「ご命令の通りに」
 うやうやしく二本の羽根を受け取ると、少女はそれを布で頭に巻き付けた。
 ジーンは木の葉の目から大樹を見守っていた。枝に取りついて黒い粘液が暴れる様も、ヴァルキュリアと名乗った少女たちがそれに果敢に向かっていく光景も目の前を通り過ぎて行く。
 毎日毎日、大樹の上の戦いは続いた。大樹は傷つき、動物も人々も傷ついていった。
 それでも魔獣の数は少しずつ減っていき、ついには大樹から追い払うことに成功したようだった。
 傷ついた生き物たちを癒すように、辺りには霧が立ち込めていた。木々は軋んであちこちが折れて、辺りには人々が重なるように倒れていた。
 その中で長い灰色の髪を持つ青年が屈みこむ。彼は人々の死体の間から、白い羽飾りをつけた少女を抱き起こす。
「聖獣様。御体が……回復されたのですね」
 ヴァルキュリアは切れ切れの息を吐きながら、青年を見上げる。
「聖獣などではない。精霊が恐れるものなど、魔獣と変わりはしないんだ」
 青年は感情をこらえるような低い声でつぶやく。
「私がいるせいで、主はずっと戻ってくることができない」
 ヴァルキュリアは青年に微笑みかけて、首を横に振る。
「いいえ。あなたは聖獣様です」
 ヴァルキュリアは青年の頬を伝っていた雫を拭う。
「生き物の死に、泣いてくださるのですから……」
 少女の手は力を失って落ちる。彼女の頭に巻かれていた白い羽根がぱっと散った。
 青年は肩を震わせて、次々と涙を落としていく。動物も人も死に絶えた場所でたった一人、悲しみに耐える。
「……すまない」
 そうつぶやいた姿は隣人のイツキと変わりなくて、ジーンは不思議だった。
 ジーンは悲しくてその涙を拭いたくて、一生懸命に手を伸ばした。自分が彼の悲しみを吸い取れるならいくらでも引き受けるのにと、もどかしさが溢れる。
 その瞬間、ジーンは枝から離れてひらりと舞い落ちる。
 宙を舞っている間に意識は薄れていった。それでも青年の頬に触れるまではと、ジーンは意識を上へ上へと飛ばした。
(待っていて。必ずそこに行くから)
 キスをするように青年の頬に触れる。彼が顔を上げた時には、ジーンの意識は真っ暗な所に沈んでいた。
 夢から覚めた時、ジーンは自分の家のベッドの中にいた。辺りは真っ暗だが、小屋の中には寄り添うように動物たちが眠っている。
 それは数日前までは当たり前の光景だった。この中で眠るのが、ジーンにとって一番安らぐ時間だった。
 でも、彼がいない。胸に迫って来た感情の流れのままに、ジーンはベッドから下りて外に飛び出していた。
 空には細い月が浮いていて、大樹の枝の上を金糸のような光で撫でていた。ジーンは忙しなく辺りを見回して、枝の上を駆けていく。目をこらして灰色の髪の青年を探す。
 けれど彼の姿はどこにも見当たらなかった。寝静まった動植物の安らかな呼吸が聞こえてくるだけで、彼の纏う香草のような匂いも気配も感じられない。
 もう会えない。そう思った途端、ジーンの胸を食い破るような感情が溢れた。
「うわぁぁ……!」
 ジーンは大声で泣き始める。悲しみのままに大粒の涙を降らせると、動物たちが起き出してきて近寄って来る。大樹もざわめき、風がジーンの頬を撫でるように掠めていく。
 ジーン、どうしたの、何を泣いているのと、生き物たちが口々に囁きかけてくる。
「イツキさん、イツキさん……!」
 そんな生き物たちの心配にも心は静まらず、ジーンはわんわんと泣き続ける。ジーンの心を映し出すように空は暗雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうだった。
 ジーンが大声で泣いたのは、ずいぶん久しぶりだった。いつもは何事ものんびりとしていて心が激しく震えることはない。けれど今のジーンは心細くてたまらなく不安で、感情の奔流に押し流されていくようだった。
 そのとき、巨大な羽音が近付いてきた。空を覆うような鳥は滑るようにジーンの目前に下り立つと、灰色の髪の青年に姿を変える。
「ジ、ジーン。どうしたのですか。泣かないで」
 イツキはうろたえながらジーンの前に進み出ると、両手を地面につけたまま懸命にたずねる。
「何があなたを悲しませているのです? あなたの御心のままにいたしましょう。どうすれば泣き止んでくださいますか」
 彼の姿をみとめた途端、ジーンはぺたんと座りこんだ。
「……ジーン?」
「イツキさん……!」
 ジーンは腕を回してイツキを抱きしめながら、また次々と涙を零す。
「ふぇ、えっぐ、ぐすっ。や、やです。いかないで」
 迷子の子どもがようやく母親をみつけたように、ジーンはしゃくりあげて泣きじゃくる。イツキは戸惑ったように見下ろしたが、ジーンのなすがままにさせてくれた。
 月は雲に隠れてしまっていた。ジーンは暗がりの中でしがみつくようにイツキを抱きしめる。
「イツキさんは、どこかに行っちゃうのですか」
 ジーンがたずねると、それにイツキはさとすように答えた。
「私は命に嫌われているのです。命の結晶であるあなたのお側には、いない方がいいのですよ」
 ジーンはイツキの香草のような匂いに切なくなるような思いがした。
「いやじゃないです。私はイツキさん、好きです。行かないでほしいです……」
「私はいつでもあなたを見守っていますよ」
 イツキはそう言ってくれたが、ジーンは駄々っ子のように首を横に振った。
「離れるのはこわいです。今までみたいに……」
 ヴィーラントのように、必ず会いに行くと言えない自分がもどかしかった。イツキはきっと大空を自由に羽ばたいてどこへでも飛んで行ってしまう。
「……側にいてください」
 その言葉は思わずジーンから零れ落ちた。
 ジーンは自分のことが嫌になった。自分の気持ちを押しつけるばかりでちっともイツキのことを考えていないと、自分が情けなかった。
 でもイツキに離れていってほしくない。それは柱のような気持ちで、ジーンには動かせない。
「あなたはまだ幼いから、私がどんな悪い大人か知らないのです」
 イツキは困ったようにつぶやくと、ジーンの肩を掴んで体を離す。それからとめどなく涙の流れる頬にそっと触れて、彼は確かに頷いた。
「わかりました。ジーンが大きくなるまでお側におります」
 その途端、雲の切れ間から月の光が差し込んで二人を照らし出した。
 暗雲の立ち込めていた空は綺麗に晴れ渡って、澄んだ空気が静寂に満ちる。
「……ありがたい。まだあなたに私は必要だと、うぬぼれていられる」
 イツキは空を仰いだが、何かに気づいたように視線を落とす。
「いけません。おみ足の手当てをいたしましょう」
 イツキはジーンを抱え上げながら言った。ジーンの足は、ささくれ立った枝や草むらを素足で駆けてきたために小さな傷がいくつもできていた。
「痛くないです」
 ジーンはそう言ったが、今はイツキに触れていたかった。イツキも下ろす気配はなかった。
 やがてジーンは鼻先を掠める香草のような匂いと規則正しい穏やかな揺れを感じながら、安息に身を委ねていった。
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