転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~

6 おとなの世界の難しい事情

 ヴェルザンディはアスガルズ宮の上階にある客室にジーンとイツキを通して、侍女たちに茶菓を用意させた。
 ヴェルザンディ自ら茶を注いでから、彼女はジーンとイツキを見る。
「この国を守護する騎士団の団長は、代々国王が兼任します」
 ヴェルザンディの話は、そんな風に始まった。
「副団長には、ヴァルキュリアという女性騎士が存在するのが通例です。今は、私がその地位にあります」
 ジーンがうなずくと、ヴェルザンディは先を続ける。
「……けれど本来、ヴァルキュリアは異界からやって来る乙女のことを指すのです」
 ヴェルザンディはそこで言葉を切った。
 彼女の瞳がジーンをみつめていて、ジーンは戸惑いながら黙る。
(私に前世の記憶があることは、このひとに知られていいのかな)
 隣に座る、ジーンの過去を知るイツキは何も言わない。だから余計に、ジーンはその事実を口にするのをためらった。
 この世界でのジーンはまだ幼い。けれど前世の記憶では、いろんな悪意のある大人たちがいた。騙し、利用する、悪いひとたちには関わらない方がいい。
 ただヴェルザンディはそれ以上ジーンを問い詰めることはせず、話題を変えた。
「ところで、先日この国に魔獣が現れました。およそ十四年ぶりです」
 ヴェルザンディは波の無い口調で続ける。
「そのこと自体は問題ではありません。魔獣はいつでも発生し、襲い来る化け物。十四年もの長期間現れなかったことの方が不思議なのです」
 ジーンは前世の自分を殺した黒い化け物を思い出してうつむいた。この世界に来てからはイツキが助けてくれたが、あれがいつでも発生して襲い来るのだと聞くと体が冷たくなってくる。
「十四年前、私が魔獣を追い払ったなどと世間では言われていますが……」
「おい、ヴェルザンディ」
 椅子を後ろ向きにして背もたれにあごをついていたヴィーラントが、しびれを切らしたように口を開いた。
「ジーンたちの話を聞くんじゃなかったのか。年寄りの昔話なんて聞き飽きたぞ」
 ヴィーラントの不満げな顔に、ジーンは首を横に振る。
「大丈夫です。ゆっくりしかわからない、難しいお話なので。そのままお話を進めてください」
 先日過去の記憶を思い出しただけで、ジーンはこの国のことを何も知らない。ジーンはヴェルザンディの話を頷きながら聞いていた。
 ただヴィーラントの不満はヴェルザンディに届いたらしい。彼女は目を伏せて言葉を切った。
「失礼。確かに前置きが長くなりました」
 ヴェルザンディはイツキに目を向けて言う。
「その大襲来の折りに魔獣との戦いで怪我を負い、危うく命も失うところであった私の前に、フェルニル殿が現れたのです。今とお変わりないお姿で」
 ジーンは隣に座るイツキをうかがった。ジーンに見せる優しい声音と表情はどこにもなく、仮面じみた無表情だけがそこにあった。
 ヴェルザンディは敬うようなまなざしでイツキを見て続ける。
「金の槍で魔獣を切り裂いていく勇ましい姿は、まさに伝承の中にだけ生きる「フェルニル」、異界とこの世を行き来する聖獣でございました」
 ジーンはフェルニルと口にしようとした。けれどその名前を言葉にしようとすると、ジーンはどうしても胸が苦しくなってできなかった。
 ヴェルザンディはふと母親のようなまなざしでヴィーラントを見た。
「そして大襲来の後間もなく、ずっと御子に恵まれなかった国王夫妻の間にヴィーラント王子が誕生なさったのです」
 ヴェルザンディはジーンに目を戻して告げる。
「殿下は普通の人間のように物を見ることはできませんが、人には持ちえない腕力をお持ちです。だからその力で人を傷つけないよう、岩石の地下牢に自らお住まいでした」
「お、おい、それは誰にも言うなって言ったのに!」
 焦って立ち上がるヴィーラントに、そうだったのだとジーンは息をついた。
 ジーンがヴィーラントに初めて会ったとき、光る宝玉をみつけたような思いがした。まだ話もしていなかったのに、ヴィーラントの美しさに目を奪われた。
 自分は目に見えない何かを見たような気がする。ジーンがふと思っていると、ヴィーラントが早口で文句をつける。
「で、何が話したいんだよ、ヴェルザンディ。いつも言っているが、お前の話はわかりにくいぞ」
 自分のことを話題にされたのが恥ずかしかったのか、ヴィーラントはむすっとしたまま続ける。
「ボケるにはまだ早い年だ。そこの変な男がフェルニル並に強かったってことなんだろ。じゃあ騎士団に来てくれと言えば済む話だ」
「もちろんフェルニル殿には国に留まって頂けるよう懇願いたします。しかし」
「……誤解をされては困る」
 ずっと黙っていたイツキが口を開いて、ヴェルザンディが言葉を引っ込めたほど冷ややかな調子で告げた。
「私は精霊を守護する者。イグラントを守った覚えもなければ、今後もそのつもりはない」
 イツキはそのまま口を閉ざしてしまう。それ以上の言葉を許さない拒絶のようだった。
 ジーンは普段の隣人とは違うその冷ややかさに、彼がヴェルザンディに持つ警戒を見た気がした。
(おとなの世界はたぶん難しくて、言う事をきいちゃいけないことがいっぱいなんだ)
 ジーンはイツキとヴェルザンディを見比べて、言葉をかけかねていた。ヴェルザンディが信頼できない大人だとは思わなかったが、信じるにはまだ何もかも彼女のことを知らなかった。
 長い沈黙を破って、ジーンはそっとヴェルザンディにたずねる。
「ヴェルザンディ様は、どうして異界から来る乙女を待っていたのですか?」
 ヴェルザンディはジーンを見て目を細めると、再び口を開く。
「乙女がこの国にいてくださる間だけ、木の国は平穏でいられるのだそうです」
 ヴェルザンディは目を伏せて続ける。
「古くから、木の国は様々な外敵に狙われてきました。いつの時代もヴァルキュリアを立てて国を守ってきましたが、私のような仮のヴァルキュリアでは無理がある。……魔獣の襲来や、ひどい戦争に見舞われてしまうのです」
「俺はそう思わない。ヴェルザンディはよくやってる」
 ヴィーラントは不機嫌に口を挟んで言う。
「現に十四年の間、この国は平穏じゃないか」
「ヴィーラント殿下がお生まれになりましたから」
 ヴェルザンディは淀みなく答えてみせる。
「乙女がやって来る予兆には、マナトの誕生があるのだそうです。精霊が愛する人間のことです」
 ヴィーラントは不意を突かれたように黙る。ヴェルザンディはイツキの方を見やって言った。
「精霊は聖獣を従えると聞きました。だからあなたこそが異界から来た乙女だと思うのです」
 ヴェルザンディの碧色の瞳はジーンで止まると、彼女は深く頭を下げて言う。
「どうかこの国にお留まりください、ジーン殿」
 ジーンは戸惑ってイツキを見たが、彼はそれにも何も言わなかった。
 ヴィーラントはジーンとヴェルザンディを見比べて、探るように問う。
「フェルニルを従えるから、ジーンは木の国の精霊だっていうのか? それは……」
 ヴィーラントもジーンをみつめて、うなるようにつぶやく。
「俺もわからない。ジーン、そうなのか?」
 ジーンは目を伏せて考え込む。
(精霊というもの、それが自分だと言われてもよくわからない)
 最初にジーンにその話をしてくれたのはイツキだった。でも自分に特別な力を感じたことはない。
「私はイツキさんを従えては、いないです。イツキさんは側に住んで助けてくれた、お隣さんです」
 それだけ答えて、ジーンは黙りこくった。うつむいたジーンを、イツキが見つめている気配を感じていた。
 けれどヴェルザンディは揺るがない声で言う。
「聖獣は精霊以外に従いません。あなたは人では入る術のない岩石の牢にもお入りになった。ヴィーラント殿下に、特別な感情を抱かれたのではないですか?」
「そ、それは」
 澄んだ碧の瞳でジーンを仰ぐように見つめるヴェルザンディに、ジーンは首を横に振る。
「きっと、ヴィーラント様が特別な存在なのです。ヴィーラント様はきれいで、輝いているから」
 ジーンはまだわからないことだらけでそう言ったが、ヴェルザンディの心は既に決まっているようだった。
 ヴェルザンディは椅子から下りてひざまずくと、慌てるジーンの服の裾を引く。
「次のヴァルキュリアとなって、この国と殿下のお側にいてはくださいませんか」
 ずいぶん大人の、立派な騎士様にひざまずかれて、ジーンは驚きに言葉を失う。
 ジーンは首を横に降ろうとしたが、鋭く言葉を挟んだのはヴィーラントだった。
「ジーンはまだ子どもだ」
 ヴィーラントは年下の子どもを守るように言った。
「健やかに成長する時期のはずだ。ヴァルキュリアなんて重荷を負わせるな」
 ヴィーラントの優しさに、ジーンはほっと心を温かくした。出会ったばかりだというのに、自分を庇おうとしてくれているのが嬉しかった。
「この国の未来がかかっているのです。どうか、お願いいたします」
 ただジーンが精霊と信じて疑わない目で見つめるヴェルザンディは、そう簡単に引き下がってはくれそうもなかった。
「王宮内に部屋を用意させていただく。滞在して、お考えいただけないか」
 ヴェルザンディのその言葉は、ジーンよりもイツキに引っかかったらしい。
 イツキは音も無く立ち上がると、ジーンをひょいと抱っこして言った。
「精霊は大樹の中にいるもの。ここでは心安くいられない。帰らせていただく」
 引き留めようとしたヴェルザンディを冷ややかに拒否すると、イツキはジーンを抱えたまま踵を返す。
「マナトには、またすぐ会えます」
 イツキはささやくようにジーンに教えてくれた。ジーンはほっとその言葉に安堵する。
 ジーンはヴィーラントの紫の瞳を見つめて告げる。
「ヴィーラント様。また参ります」
 それが聖獣の力なのか、ジーンはイツキの腕の中に包まれていると体が安らいだ。
 王宮を出る頃には、ジーンの意識は眠りの渦に落ちて行った。
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