神様の寵愛は楽ではない


 男はついと(おもて)をあげた。
 額についた玉石がぽろりと落ちた。

 その闇よりも濃い闇色の双眸は感情もなく静かに美奈を見た。
 それは美貌というには言い尽くせないほどの完璧に整った容貌であった。
 美奈は自分よりも美しい者を見たことがない。
 都の名高い仏師が猛々しさを内側に秘めるようにして彫り上げた美しき金剛力士像のように、まるで欠けたるところが見当たらぬ。
 水盤に写した満月そのもののよう。

 その男の静謐さと首の後ろがぞわりとくるほどの美貌に、人生で初めて敗北感を感じるとともに、不意に御しがたいほどの怒りが腹の底からふつふつと沸き上がる。
 怒りに任せ、手にしていた扇子を力の限り投げつけた。
 ガツンと男の額にあたり、ぷつりと血が吹き出した。鼻筋から真横に結んだ唇にしばしとどまったかと思うと、口の端から顎に落ちる。
 とおろりとおろりと赤い、赤い血がしたたり落ちる。聞こえるはずのないぽつりという音が娘の頭に響いた。


 男は音もなく立ち上がる。
 顔に走る血をぬぐおうともしなかった。
 カシャンと腰の剣が擦れて音がした。
 美奈は、男の血に動転したせいか、男に神々しい光を見、さらに彼を取り巻く景色がゆうらりとゆらいだように見えた。

 彼の存在が一回りも二回りも大きくなったように思えた。
 実際には、玉砂利の上を踏みしめながら男が近づいてきただけなのだが。

 理性は、非礼を詫びてこの場を逃げ去れと叫んでいた。
 もしくは男が欲しいというのならば、こんな体ぐらいくれてやれ、と。
 肉体よりも命が大事ではないか。


 だが体は、口は、金縛りにあったように動かない。時がとまる。
 呼吸をすることも、心臓を動かすことも、美奈は忘れ去った。
 この世には男しか存在していないよう。縁側に足をかけ、下履きのまま上がり美奈を見下ろす。
 美貌の男は言う。

「確かに、間近にみてもお前の血肉は天女のように美しい。だが内側の魂はそこいらの石ころのようにざらりとして味気ないものよな。
 石ころのお前が外側にまとい、刀よりも強いと愚かにも錯覚しているたまゆらの美しさを、いまここでひとつづつはいでいってやろうか?美貌を失ってもなお、小生意気な口をきけるものか興味深いものだ。
 せっかく人の世にありながら奇跡の如き美しさをもつお前をほんの気まぐれにでも愛でてやろうというのに、残念ながら魂がつり合っていないのだな!これは笑止」

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