初恋カレイドスコープ

 アパートの前に二人並んで、遠ざかっていく車を見送る。一番近くのコインパーキングが珍しく満車になっていたものだから、波留さんは空いている駐車場を探しに近場をぐるぐる回るつもりらしい。

 一週間ぶりの我が家は、懐かしいような、そうでもないような……。ああでも、最後にこの家を出てきたときは、まさか玲一さんと一緒に戻ってくるとは思ってもいなくて、洗濯物は干しっぱなしだし布団もきっとぐちゃぐちゃだ。

 急に焦り始めた私を無視し、玲一さんは私の荷物を持ったまま錆びついた階段をカンカン昇る。私は慌てて彼を追い越し、どうか虫だけは出ませんようにと祈りながらドアを開けた。

 一週間換気されていない部屋は独特のにおいがして、私は小走りで部屋へ入ると大急ぎで窓を開ける。案の定布団はぐっちゃぐちゃ、脱いだ服がそのまま散らばっていて、おまけに部屋干しのまま放置された下着がぶらぶら揺れている。

「あの、すみません、汚くて……!」

 慌てて下着を回収しながらわたわたと振り返ると、足元に鞄を置いた玲一さんが部屋の入口に立っていた。

 彼はいつになく真剣な、意を決したような顔をしていて――張りつめた糸のような空気に、私は自然と姿勢を正す。

「凛ちゃん」

「……はい」

「曖昧なのはもう嫌だから、きちんと言葉で伝えるけど」

 軽くつばを飲み込んだ玲一さんが、私の目を射抜くように見つめる。

「俺、凛ちゃんが好きです。本当に特別だと思ってます。だからこそ、俺みたいに薄っぺらで、無責任で、不誠実な男が一緒にいるべきじゃないと思ってました。でも」

「…………」

「あのとき、俺のことをまだ好きだって、……やめられなかったんだって聞いて、俺、めちゃくちゃ驚いたし、本当に嬉しかったんです。俺だって関係が切れてから、何度も忘れようとしたけど、結局胸の中はいつもぐちゃぐちゃでずっと苦しいままだったから。……だから、その」

 そこで一旦言葉を切り、玲一さんは少しうつむく。結んだ唇が言葉を選ぶように開いて閉じてを繰り返し、そうしてやがて、顔が上がると同時に眼差しに光が宿る。



「今度こそ、全力で幸せにするんで……凛ちゃんの、彼氏に、なりたいです」



 たどたどしい――あまりにもらしくない、迷い、悩み、戸惑い、たじろぎ、やっと紡いだその言葉。

 じわりと血の昇った頬がほのかな桃色に染まっている。困ったように眉間にしわが寄り、大きな瞳がおずおずと、伺うように私を見つめて……純情な少女が恥じらうようなさまが、あまりにも可愛くていじらしいものだから、私もほどよく緊張が解けて思わずくすっと笑ってしまう。

「笑うなよ!」

「すみません、だって……今まで見たことないくらい可愛かったから」

 彼へ向かって一歩前へ。それから、ほんの少しだけ背伸びをして、触れるだけのキスをする。

 これが私の告白の返事。ずっと胸の中で育んできた、不器用で純粋な想いを込めて、あなたが私にしたくちづけを今度は私があなたに贈ろう。

「玲一さん、照れてます?」

 額と額をこつんと合わせ、からかうように訊ねてみる。

 玲一さんは赤い頬のまま、拗ねたようにそっぽを向くと、

「……はじめてなんだからしょうがないだろ」

 と、小さく唇をとがらせた。




『初恋カレイドスコープ』 おわり



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