目覚めない夫を前に泣き腫らして、悲劇のヒロインを気取る暇なんてなかった。

「これだけが残留って……。う、嘘でしょう……?」

「嘘ではありませんよ、奥様」

 報告書を手渡し、私のつぶやきを耳にした執事長のフォルストは、確たる口調で断言する。

 聞けば我が家の使用人たちは、誰もがトレーガー家に恩義を感じているとのことだった。
 孤児から拾われてメイドになった者。責任のない罪を着せられそうになり、助けられた者。祖父の代から家族ぐるみの付き合いで重用されている者。
 利害関係を超えたところで深くつながり、皆が自らの意思で留まり続ける。
 それは家への恩義だけでなく、カミル個人への忠誠も含めて。
 少なくとも彼が生きているうちは、この家を見捨てたりしない。
 そんな決意を皆が心に秘めており、私は恥ずかしながらこの時初めてそれを知ったのだった。

「ご安心下さい。たとえ最後の一人になろうとも、わたくしめが旦那様をお守りいたしますゆえ」

 老執事のフォルストは、カミルの幼い頃の家庭教師でもあり、どこか親のような目線で彼に接していた。

「心強い言葉ね。嬉しいわ。……けどそれって、私もどこかでいなくなる前提なのかしら?」

「……失礼を承知で申し上げますと……その、奥様は早いうちに、実家にお帰りになられると……正直、思っておりました」

「あらまあ、それは…………わからないでもないけどね」

 少し意地悪な質問に、ためらいがちな答えが返ってきて、私は苦笑する。
 確かに嫁いできた頃の私だったら、何もかも投げ出して真っ先に逃げ帰っていたことだろう。

 でも今は、そんな選択肢を思いつくことすらない。
 そういう意味では、私もカミルに影響されたうちの一人といえそうだった。


 そんな感じで、彼のための日々は続いていく。

< 16 / 33 >

この作品をシェア

pagetop