目覚めない夫を前に泣き腫らして、悲劇のヒロインを気取る暇なんてなかった。
「これだけが残留って……。う、嘘でしょう……?」
「嘘ではありませんよ、奥様」
報告書を手渡し、私のつぶやきを耳にした執事長のフォルストは、確たる口調で断言する。
聞けば我が家の使用人たちは、誰もがトレーガー家に恩義を感じているとのことだった。
孤児から拾われてメイドになった者。責任のない罪を着せられそうになり、助けられた者。祖父の代から家族ぐるみの付き合いで重用されている者。
利害関係を超えたところで深くつながり、皆が自らの意思で留まり続ける。
それは家への恩義だけでなく、カミル個人への忠誠も含めて。
少なくとも彼が生きているうちは、この家を見捨てたりしない。
そんな決意を皆が心に秘めており、私は恥ずかしながらこの時初めてそれを知ったのだった。
「ご安心下さい。たとえ最後の一人になろうとも、わたくしめが旦那様をお守りいたしますゆえ」
老執事のフォルストは、カミルの幼い頃の家庭教師でもあり、どこか親のような目線で彼に接していた。
「心強い言葉ね。嬉しいわ。……けどそれって、私もどこかでいなくなる前提なのかしら?」
「……失礼を承知で申し上げますと……その、奥様は早いうちに、実家にお帰りになられると……正直、思っておりました」
「あらまあ、それは…………わからないでもないけどね」
少し意地悪な質問に、ためらいがちな答えが返ってきて、私は苦笑する。
確かに嫁いできた頃の私だったら、何もかも投げ出して真っ先に逃げ帰っていたことだろう。
でも今は、そんな選択肢を思いつくことすらない。
そういう意味では、私もカミルに影響されたうちの一人といえそうだった。
そんな感じで、彼のための日々は続いていく。