ブランカ/Blanca―30代女性警察官の日常コメディ
 私が六合目の日本酒を飲み始めた時だった。
 相澤がトイレに行き、岡島は葉梨にハンドサインを送った。席を外せ、三分以上経ってから四分以内に戻って来い――。
 私はそれに気づかないふりをして蟹を黙々と食べていた。葉梨が食べやすいようにしてくれたから私は黙々と食べていた。美味しい。

 葉梨が座敷を出て歩き始めた時、岡島は口を開いた。

「ねえ奈緒ちゃん、結婚しようよ」
「離婚歴のある人は嫌だよ」
「じゃ、誰かに養子縁組してもらって戸籍をまっさらにする」
「バカなの?」
「ならさ、そろそろ俺の事を『くん付け』して呼んでよ」
「やだよ」
「奈緒ちゃんと直くん、いいじゃん、お願い」
「殴るよ?」

 いつものやり取りだが、同じく蟹を食べている岡島は私と岡島しか分からない符牒を送って来ている。
 誰もいないのだから話せばいいと思うし、この店でもそれをやるという事の意味は――。

 ――もうこの店には来れないのか。

「葉梨に会ったら、聞いてみてよ」

 岡島は私に意味が通じたと思ったのだろう。葉梨は知っている――。
 という事は葉梨が気づいたという事か。そんな後輩を私が仕込むよう岡島は指示した。面白そうだなと私は思った。
 口元に笑みを浮かべると岡島も同じようにした。
 そこに相澤も戻って来て、すぐに葉梨も戻って来た。

「ねえ裕くん、手羽先の甘辛いやつ食べる?」
「奈緒ちゃんまだ食べるの!?」
「うん。あ、ねえ葉梨」
「はい!」
「あんたが食べたいもの注文してよ。私それ食べるから」
「分かりました!」

 葉梨は手羽先の甘辛いやつとエビフライと焼き鳥とピザと朝採れ野菜のなんたらとオムライスと餃子とフライドポテトと豚串とイカリングと厚焼き玉子とサラダとチーズの何かとビールとハイボールと焼酎のお湯割りと烏龍茶を頼んでいた。

 さすがに多すぎるのではと思ったが、葉梨は全部食べた。私はそれぞれ少しずつ貰った。
 葉梨は凄く美味しそうに幸せそうに食べるし、食べ方が綺麗だ。

 葉梨は見た目は熊で体格も良いが、意外にも健気で素直で可愛いと思った。相澤も葉梨も、警察官としてはどうかと思うくらいに純粋で真面目で優しい。
 岡島もチンピラだが優しい。しかし私は十四年前の膝カックンが許せないから物理的に抹殺したいと思う気持ちは変わらない。

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