お前を愛することはないと言われた侯爵令嬢が猫ちゃんを拾ったら~義母と義妹の策略でいわれなき冤罪に苦しむ私が幸せな王太子妃になるまで~【猫殿下とおっとり令嬢】

第1話「君を愛することはない」

 王宮の応接間には、レースカーテンを透かして明るい陽射しが降り注ぐ。

 たっぷりとしたドレープが美しいベルベットカーテンで飾られたガラス扉の向こうには、よく手入れされた庭園が広がっている。

「ロミルダ、君を愛することはない」

 ミケーレ第一王子は長い指先でブロンドに輝く前髪を整えながら、婚約者であるロミルダ・モンターニャ侯爵令嬢に冷ややかな視線を向けた。王子の瞳は希少石楔石(スフェーン)のように緑がかった黄金の光を放ち、彫像を思わせる美貌を一層引き立てている。

 ロミルダ自身も愛ある結婚を期待しているわけではなかった。ここ百年近く王太子妃は公爵家から輩出されていたのだが、血が濃くなりすぎて幼少期に命を落とす王族が増えたことと、国王陛下が優秀な家臣であるモンターニャ侯爵を大変気に入ったことで、長女ロミルダは第一王子と、次女ドラベッラは第二王子と婚約したのだ。

 ロミルダとミケーレ第一王子の婚約が、両家の間で正式に取り交わされたのは七年前。社交の場で顔を合わせるだけではなかなか心を開かないミケーレの様子を(うれ)えて、王妃殿下の発案で二人はヴァカンスの時期をのぞいて毎月、茶会で時間を持つことになった。

「余には愛するディライラがいるからな」

 その名を口にした途端、ミケーレ王子の口もとには別人のようにあたたかい微笑が浮かんだ。優しいまなざしで見下ろすひざの上で、彼女は丸くなっていた。

「おお、ディライラ。お前はこの世でもっとも美しい!」

 ミケーレがひざに置いたブランケットの上で、つややかな毛並みの三毛猫が牙を見せてあくびをした。三毛猫ディライラはよく(しつ)けられているようで、テーブルの上に並んだケーキスタンドや銀食器には見向きもしない。

 居並ぶ使用人たちさえ内心では呆れかえる中、空色の髪を結い上げたロミルダだけが、深い海の色をした瞳でいつくしむようにミケーレと猫を見つめている。

(こんなに猫ちゃんをかわいがっていらっしゃるなんて、心優しい方なんだわ。猫ちゃん好きに悪い人はいないもの!)

 ロミルダは満面の笑みを浮かべて、壁ぎわに立っている侍女のサラに目配せをする。渋い顔をしたままやってきたサラは、ロミルダにバスケットを手渡した。その中には布に包まれた何かが入っているようだ。

「ミケーレ殿下、どうぞ召し上がってください」

 最近、貴族令嬢たちの間で婚約者に手作り菓子や軽食を持っていくことが流行っている。といってもたいていは、屋敷で雇われた菓子職人が作ったものに当の令嬢が飾りつけを行うとか、何もできないお嬢様だとラッピングするだけなんてことも。しかし手先が器用で菓子作りを楽しむロミルダに限っては、ちゃんと本人の手作りだった。

「わたくしが手作りしましたクッキーですの」

 うやうやしくバスケットを差し出すロミルダに、ミケーレはふんと鼻をならした。

「手土産を持ってくるならディライラの分も用意せよ。それから余に食べさせたいならお前の手作りではなく名パティシエに作らせるのだな」

(まあ、殿下は舌が肥えていらっしゃるのね!)

 ロミルダは納得してうなずいた。

「はい殿下。猫ちゃんのお食事についてシェフにうかがって、勉強してまいりますわ!」

 耳のうしろをかいている猫に目を細めるロミルダは、よもや知るはずもなかった。彼女がクッキーを焼く前に、何者かが侯爵邸厨房の砂糖を恐ろしい魔法薬にすり替えたことなど――



 ◆



「ふむ。バターの風味が豊かでサクッと軽やか。口どけも良くいくらでも食べられますな」

 ロミルダと侍女が下がったあとの応接間で、手作りクッキーを食べているのは毒見役。先月までは騎士団にいたものの()()()()()()()な男で使い物にならないので、毒見役に回されたのだ。

「ん?」

 かすかに眉根を寄せた毒見役に、

「どうした?」

 気分でも悪くなったのかとミケーレ第一王子が尋ねる。

「いいえ、気のせいでした。それにしても甘みの無いクッキーだなと」

「お前が甘党なだけだろう。問題がないのならさっさと下がってくれ」

 人間嫌いのミケーレは疲れた顔で侍従や使用人を追い払うと、三毛猫ディライラを抱いたまま足早で自室へ戻った。

 大きな天蓋付きベッドさえ小さく見える広い寝室の一角には、王室御用達家具職人に特注して作らせた白木のキャットタワーがそびえ立っている。じゅうたんの上に放されたディライラは、ようやく自由になれたと言わんばかりにキャットタワーへ走っていった。

 扉を閉める前に、ミケーレは侍従から無言でバスケットを受け取った。

「殿下、ディライラ様にクッキーを差し上げてはいけませんよ」

「そんなことくらい心得ておる。余を馬鹿にしておるのか」

「いいえ、殿下。ご冗談を」

 侍従はまさか、ミケーレ殿下が侯爵令嬢ロミルダの手作りクッキーを召し上がるとは思ってもみなかったのだ。その様子を察したミケーレは、

「来月の茶会でまたあの女に会うことになるのだ。ふわーっとした笑顔で『クッキー、お気に召されました?』とか聞きそうではないか」

「あ、いかにもおっしゃりそうにございます」

「一口くらい味見しておかねば感想も言えぬ」

「殿下は誠実でございますね」

「ふん。つまらぬ嘘をつくのは好かぬだけだ」

 ミケーレは不機嫌な顔で扉を閉めた。

 一人になると安堵のため息をついてソファに腰を下ろし、キャットタワーの一番上で毛づくろいするディライラを見上げながらクッキーを一枚、口に放り込んだ。

「本当に甘くないな」

 文句を言いながら二枚か三枚食べたとき、突然視界がおかしくなった。周囲の家具がぐんぐんと伸びていくのだ。

(違う! 余が縮んでいるのだ!)

 気付いたときには遅かった。彼はすでに魔法にかけられていたのだ。



 ◆



 モンターニャ侯爵邸へ帰る馬車の中、向かいで揺られている侍女にロミルダはほほ笑みかけた。

「ミケーレ殿下、わたくしの愛情入りクッキー、召し上がってくださるかしら?」

「さあどうでしょう。ロミルダ様、愛情入りクッキーとは?」

「オーブンで焼きあがるまで石窯の前で『愛情愛情』って唱え続けたのですわよ」

「怪し――」

 本音をもらしかけて、侍女は慌ててせき払いした。

「コホン。ロミルダ様、魔女かと誤解されるような発言は、私の前だけにしてくださいね」

「魔女なんて本当にいるのかしら?」

 ロミルダはおっとりと首をかしげて、車窓に広がるオリーブ畑を見つめた。

「宮廷占星術師が、悪い魔女がこの国を乗っ取ろうとしていると警告したそうです」

 侍女の話にロミルダが口を開きかけたとき、突然馬車の天井に何かがぶつかる音がした。

「何かしら?」

 侍女が窓を開けて外をのぞくが、乾いた風に彼女の栗色の髪が揺れるだけ。御者も何事もなかったかのように馬を操っている。

 侯爵邸へ到着するころには、二人とも何かが落ちてきたことなどすっかり忘れていた。まさかそれが高貴な王太子だなんて、予想だにしなかったのも当然だ。

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馬車の上に落ちてきたのは猫殿下!? なぜ城の外へ?
今後の展開で明らかになります!

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