今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記
 新幹線で岡山へ向かう。 もっと小さい時にも行ってるらしいけど記憶は無い。
実家に行ってみるとおばあちゃんは布団に寝かされていた。
 「ばあちゃんの顔を拭いてやってくれるか?」 叔父がアルコール綿花を持ってきた。
それで拭いていると、、、あらあら?
おばあちゃんがぼくを見たかったのか、目を開けました。
「んんんんん、、、。」
困惑しているぼくに気付いた叔父が飛んできて、「ばあちゃん、心配しとったんね? もう心配せんで良かろう。 ちゃんと帰ってきたきね。」
そう言って目を閉じさせてくれました。 ばあちゃんとの記憶は残っていません。 父はいつも「お前はばあちゃんに可愛がってもらってたんだぞ。」って言ってましたけど。
 葬式に参列したのはこれが最初でしたね。 火葬場にも行きました。
実家は倉敷でも静かな所で、父はボンボンだったのかなあ?
確か、父のお兄さんも筑豊に住んでいたような、、、。

 そんなわけで春休みを過ぎても福岡には帰れず、よって始業式にも出ませんでした。
 4年生の担任は元九州交響楽団のトロンボーン奏者という変わった経歴を持っている先生でした。
それもあって、それから毎年、楽団が福岡盲学校でチャリティーライブをやってくれるようになったんです。
楽団のあの重厚な響きは今も忘れません。

 その前の3年間は女の先生でした。
なかなかに強烈な先生が担任になってくれるんです。
この先生の思い出は、、、。
逆さ吊りにされて掛け算を暗唱させられたことでしょうか。
尻を叩かれながら一つ一つ言わされるんです 虐めですねえ。「大笑い」
今だったら教育委員会も焦るくらいの苦情が殺到しそうですけど、あの時代は本当に良かった。
だってさあ、クラスのみんなが見ている前で逆さ吊りにされた挙句、掛け算を言わされるんですよ。
ぼくは泣きながら言うわけです。 恥ずかしいの何のって、、、。
 4年生の担任は虐めにすごくうるさい先生で、、、。
ぼくが友達の腕に虫メガネを当てていたずらしていたら、ものすごい顔で飛んできて「お前もやってやろうか?」って言うんです。
虫メガネを当てられて、焦点を絞っていきます。
だんだんと熱くなってきて、顔を顰めたら「まだやるか? やめるか?」って聞いてきたので「やめます。」って言うしか無かったよね。
普段は面白いけど、虐めなんて見付けたら豹変する先生でした。
 でも授業は形に囚われない自由気ままな先生でしたね。
田んぼの中で詩や小説を読んだことも有ります。
「社会探検だ。」と言って午前中抜け出して散歩してたことも有ります。
 川でアマガエルを捕まえてきて教室中に放し飼いしたことも有ります。
いやいや、奇想天外な先生でした。
 ぼくが失明した時、一番ショックを受けていた先生でした。
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