愛は足りないものに含まれません!

 どうしてこんな人を好きになったんだろう。


  コンビニでの買い物帰り。
 夏の夜道を歩きながら、ふと彼の顔が浮かんだ。
 わたしと彼は明日から大学のゼミ合宿に行く予定だ。
 なにごとも早めに準備をしたいわたしと違い、彼はいつだってギリギリになるまで行動を起こさない男だった。
  不安じゃないのかと尋ねると「慣れだよ。ほんと心配性だな」と笑われたが、わたしは彼を笑いとばせなかった。
 彼の一挙一動にはらはらしてしまうのだ。
 彼は、ちゃんと支度をしているだろうか。
 一旦そう思うと、どうにも落ち着かない。
 そうだ、今から彼のアパートへ行ってみよう。
 それとなく様子を探るのだ。
 幸いにも、わたしの住まいから彼が住むアパートまでは、電車でひと駅だった。


 住宅街の開いた窓からは、野球中継のアナウンサーの大声と、客の歓声が聞こえていた。
 アパートの薄いドアが開くと、緊張感のない顔をした彼が、連絡もなくやってきたわたしを驚くことなく迎えてくれた。
 野球の延長のために遅れて始まるバラエティー番組を、観ようとしていたところだったそうだ。
 わたしはさりげなく部屋を見まわした。
 六畳一間の和室には、小さなテレビと折り畳みができる木製のちゃぶ台があった。
 時代はすでに令和となっているのに、この部屋の昭和臭はいかがなものか。

「ところで合宿の用意はもう終わっているんだよね」
「……ん?」
「ゼミ合宿でしょう。明日からよ。忘れたの?」
「えっ、明日!  そうだ、明日だ。……明日かぁ」
「もう、やっぱりまだだった。ほら、手伝うから済ませちゃおう。二人でやればあっという間に終わるから。わたしはテキストを揃えるから、あなたは着替えを用意して」
「いや、待てよ。そんな、いきなり言われても心の準備ができていないし……って、うわぁ、なんだ。またどうして、そんな重たそうな本ばっかり選ぶのかなぁ」
「あのね、わたしだって好きで選んでいるわけじゃないです。でも、わたしたちは勉強しに行くんだから、必要なのよ。これを持たないで行ったら、単なる温泉旅行になっちゃうじゃない」

 私の言葉に彼は、むしろ温泉旅行に行きたいよ、とぼやいたが、それでもなんとか用意をはじめた。
 背後で、タンスを開けたり閉めたりする音が聞こえ……ない。
 早くもさぼっているなと振り向くと、なんと彼はタンスの引き出しを開け、そこを覗きこむように正座をしていたのだ。

「自覚があるかどうかわからないけど、動きが止まっています。そもそも正座をして悩むほど、洋服を持ってないでしょう」
「まさにその通り。ないんだ、持っていける服が。このところ洗濯機を回すのをさぼっていたのがよくなかった」
「ちょっと待ってよ。この暑さよ、服はもう腐っているかもしれないわ。ううん、なにかが生まれて、すでに育っているかもしれない! 今すぐ洗濯!」
「それはできない。もう時間も遅いから、ご近所さまに迷惑だろう。それに、洗剤もない」

 彼はやけに偉そうな顔をすると、きっぱりとわたしに正論をぶつけてきた。 

「わかったわよ。だったら、明日の集合時間は午後だから、朝一番に洗って干しても今ならすぐに乾く。洗剤なくても、シャンプーはあるででしょ。一度くらいそれで洗っても大丈夫でしょう。それで、洗濯するのはなんなの?」
「Tシャツに、短パン。あとは、パンツ」

 つまり全部か。
 明日は、合宿中に必要な分だけの洗濯をするとして。
 しかし、残される未洗濯の衣類の数々を思うと頭が痛い。
 いや、頭どころか、鼻も痛くなるに違いない。

「あっ。いいのめっけ。これを持っていこう」

 そう彼が掲げたのは、いわゆる、ステテコ。
 ステテコは、ここ最近の環境にやさしい製品の普及により、その涼しさが新聞やテレビで取り上げられている、エコロジーなアンダーウエアだ。
 カラフルな模様の品も多く、部屋着としてもいいとあるが、彼が手にしていたのは昔ながらのおじさん仕様のもの。
 つまり、白いサラサラとした生地のアレだ。

「これさぁ、上京してすぐに、かあちゃんが送ってきてくれたんだよなぁ」
 かあちゃん元気かなぁ、と言うと彼はステテコをしげしげと見ている。
 お母さんを大事に思うのはいいけれど、それは全ての用意が終わってからにして欲しい。
「なんかじっと見ているけど、もしかしてこれが気にいったのか。だったら、あげようか」
「いえ、どうぞあなたが穿いてください。それに持って行くなら、さっさと鞄に入れてください。あと、服もあるものだけでいいから、とにかく詰めてっ!」

 わたしのトゲトゲした声に危機を感じたのか、今度こそ彼は、素直に準備をはじめた。
 そんな様子を見ながら、出てしまうのはやっぱり溜息だ。
 この人は、本当に何でもいつもギリギリだ。
 もう少し計画性をもって臨んで欲しいと思うのは、贅沢だろうか。
 間に合わない、間に合わないと言いながら、ギリギリで常にセーフになってしまうのも、よくないんだろう。

 ギリギリまでなにもしないなんて、不安にならないんだろうか。

 なんでもコツコツと、計画的に目的を達成していくわたしは、最初は彼が苦手だった。
 全く合理的じゃないし、彼のこういった行動が、理解しがたかった。
 でも、人って不思議だ。
 苦手だと思って彼を見ているうちに、彼のいいところにも気づいてしまったのだ。
 彼は、心が広い。
 わたしだったら目くじらを立ててしまうような相手の行為も、ゆるしてしまう。
 全てにおいてギリギリまでやらないけれど、その短い時間に爆発的な集中力をみせ、前から準備をしていたわたしよりもずっといいレポートを仕上げたりする。
 なにもしてないように見えるけれど、実はそうじゃないのかもしれない。
 つまりわたしは、彼にハマってしまった。
 心臓に悪いと思いつつ、彼から目が離せなくて、もっと早くに準備しなさいよと文句を言いならがも、そんな彼を楽しむようになっていた。
 けれど、今回の合宿のことは別だ。
 洗濯だってして欲しい。

 彼の動きが止まった気配がした。
 まだなにかあるのだろうかと、恐る恐る振り返る。
 すると妙に真面目な顔した彼が、じっとわたしを見ていた。

「どうしたの。今度は、なにが足りないのよ」
「愛が足りない」
「……愛って」

 思いがけない台詞にぎょっとしたわたしに、座ったままで彼がじりっと寄ってきた。
 部屋のテレビからバラエティー番組のオープニングが聞こえる。
 それを聞きながら、わたしはそっと目を閉じた。
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