偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
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「本日は当店をご利用くださいまして、ありがとうございます」
至れり尽くせりの時間の終わりにそう言って私に微笑んだのは、派手な顔立ちにも上品さが窺える美人。
目鼻立ちはきりっと凛々しく、だからと言ってキツイ印象もない。
ただ、こちらが恐縮してしまうほどのオーラを纏っていた。
腰まである真っ直ぐなブラウンの髪は、シャンプーのCMのような艶があり、触れてみたくなる。
白いブラウスに黒のタイトスカートという至って普通の服装なのに、スタイルの良さは隠しきれていない。
「こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」
私は座ったまま、ほんの少しだけ頭を下げた。
まだ、最後のセットの途中で、スタイリストさんが全体のチェックをしている。
「喜んでいただけたのでしたら、私共も嬉しい限りです」
スタイリストさんがブラシで私の顔についた毛を払い、「お疲れさまでした」と終わりを告げた。
私に礼を言った美人が、私をカウンターまでエスコートする。
用意されていたバッグを差し出され、洗練された美人と、使い古してくたびれたショルダーバッグのミスマッチな絵面に、申し訳なくなる。
「料金は理人に請求いたしますので、このままお帰りいただいて結構です。あ、こちら、次回使用できますクーポン券ですので、ぜひまたいらしてください」
彼女が理人を『理人』と呼び捨てた。
たとえそう呼ぶ親しい間柄だとしても、仕事中には相応しくない。
私が彼の紹介で来たと知っているなら、なおさらだ。
「いえ。お支払いします」
私は、胸の奥がモヤモヤする理由に蓋をした。
代わりに、財布を開く。
「お客様。差し出がましいですが、彼の顔を立ててあげてください。あなたから料金をいただいたと知ったら、理人に叱られます」
「理――俵さんと親しいんですね」
「え? ええ」
彼女は少し驚いた表情を見せたが、すぐに同性でも惚れ惚れするような笑顔で言った。
「どうか、ぜひまたご来店ください」
理人は知り合いに頼まれて、私を紹介したと言った。
きっと、この女性が知り合いで、頼まれればお客を紹介してあげるような関係なのだ。
自分のポケットマネーで売上に貢献してあげようと思うほどの、関係。
「ありがとうございました」
私は礼を言った。
そして、彼女の胸の小さなプレートを見た。
OWNER .KANAKA。
珍しい名前だな、と思った。
思いつく限りそれらしい漢字を当てはめてみる。
家中、鹿中、加仲。
かなか……なんていうんだろう。
きっと、素敵な名前だろう。
いいな……。
私とは違って、きっと素敵な意味が込められた名前だろう。
私の名前は、父がつけた。
正確には、父がつけてしまった。
折角、髪を切って、マッサージもしてもらってすっきりしたのに、憂鬱な気分になるようなことを思い出してしまった。
私は父を覚えていない。
母はそれを、幸いだと思っていた。
そりゃ、あんな父親なら――。
パッパーッ、とクラクションの音が響き、ハッとして顔を上げた。思わず立ち止まる。
交差点半分まで車が侵入して止まっている。
信号無視かブレーキを踏むのが遅れたのかわからないが、とにかく、危なかった。
歩行者数人が運転手を覗き込むようにしながら、歩き去って行く。
私は無意識に止めていた呼吸を再開し、同時に甘い香りを察知した。
ケーキショップの前。
綺麗に磨かれたガラス戸の向こうに、ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキが見える。
引き寄せられるようにドアを押した。
そういえば、力登にケーキを食べさせてあげたことがない。