偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
9.見合い



「体調はどう?」

『おかげさまでつわりもだいぶ楽になりました』

 目の前のスマホから聞こえる穏やかで少し弾んだ声。

「それは良かった。出社してくるの、楽しみに待ってるよ。早く、顔が見たい」

『ガッカリしますよ』

「まさか。俺がきみにガッカリなんてありえない」

『ふふ。ありがとうございます。私も、早く会いたいです』

 俺は目を丸くしてスマホを見る男に笑いかけると、スマホを手に取り膝の上に置いた。

「本当に? 嬉しいよ」

『本当です。色々聞きたいことも言いたいこともあるので。色々』

 低い声で最後の『色々』を強調される。

「……それは楽しみにしていていいのかな?」

『ご想像にお任せします』

「想像したくないかな?」

『ヘタレ』

「ふっ……、くくっ」

 口に含んだビールを吹き出さないように手で押さえ、肩を揺らして笑う皇丞を一瞥する。

『日付が変わる前に夫を返してください』

「はい……」

 スマホをタップし、通話を終える。

「お前にヘタレとか言う女、初めてだろ」

 皇丞が目尻を拭いながら言う。

 自分の嫁が親友を罵る言葉に涙が滲むほど笑うとか、薄情な男だ。

 俺は手元のウイスキーで舌を潤した。

「残念ながら二人目だ」

「マジで?」

「ああ。昼間、哉華にも言われた」

 滅多に電話なんかしてこない姉からの電話。

 俺がりとを店に行かせたと知った両親が、いつ紹介するのかと盛り上がったらしい。

 で、俺が適当に誤魔化そうとしたら、振られたんだろうと決めつけられ、挙句に梓ちゃんと同じ言葉を投げつけられた。

 既に落ちていた俺のメンタルはズタボロで、落ち込むのがバカらしく思えるほど。

 ヤケ酒なんて、初めてだった。

 家中の酒という酒を飲んだ。

 まぁ、たいした量は置いてなかったのだが。

 情けなかった。

 本当に。

 そして、こんなふうになるほどりとの言動がショックだったのかと、自分がいかに彼女を愛してしまったかを思い知った。

「で? 女にヘタレって言われたショックで俺を呼び出したわけじゃないだろう?」

「ああ」

 一時間ほど前、俺は前触れなく皇丞のマンションに乗り込み、梓ちゃんの留守中に連れ出した。

 そして、全く事情を説明しないまま、バーの個室に押し込み、今ようやく梓ちゃんに連絡したのだ。

「りとの別れた旦那が、西堂建設の後継者だと知っていたのか」

「ああ」

「どうして言わなかった」

「プライベートなことだからな」

「社長秘書の俺は把握していて然るべきことだったろう」

「いや? 離婚してるんだし、トーウン《ウチ》は直接取引のない会社だ」

 冷静でいようと努めている俺をあざ笑うかのように、足を組み、悠々と俺の反応を窺う皇丞に苛立つ。

「俺をりとの家に行かせたのはお前だ」

「だから?」

「責任を取れ」

「ヘタレなしっちょーはどうしたんだよ」

 皇丞がため息をつき、ビールを飲み干す。

「りとが口止めしたのか」

「ああ。西堂の関係者だったと知られたくなかったようだ。秘書室はやたら顔の広いお嬢様がいるからな」



 だから、力登の存在さえも隠していたのか――。



「しかし、意外だったな。お前が、如月さんの経歴から元旦那に繋げられなかったとは」

「まったくだ」

 不倫の噂が出たのは、りとが西堂建設にいた頃。

 その後、りとは倉木社長の元に行き、結婚退職した。

 そして、離婚後、また倉木社長の元へ。

 西堂建設には後継者がいることは知っていたが、名前までは把握していなかった。

 あまり出来の良くないひとり息子だと、建設業界に身を置く友人から聞いたことはある。

 皇丞から倉ビルの最後の仕事に手を貸すと聞いた時、倉ビルを吸収したのが西堂建設グループの西堂不動産であることは知っていたが、りとが二社の懸け橋となった可能性までは考えなかった。



 元上司に乞われて、旦那の会社を紹介した?



 どうも腑に落ちないが、二社と直接関りがあるのは、きっと彼女だけだろう。
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