ファーレンハイト/Fahrenheit
 午後九時四十八分

「ふふっ……そんな事があったんだ……」

 捜査員用のマンションのリビングで、加藤と葉梨がテーブルに向かい合っていた。
 葉梨と松永の義理の姉である松永玲緒奈の思い出話に加藤は笑っているが、葉梨は頭を抱えていた。
 本城は数分前、シャワーを浴びに浴室へ行っている。

「本城がシャワーから戻ったら、相澤が帰って来るまで寝るから」
「分かりました」
「何か飲む? 冷蔵庫に飲み物いくつかあるよ。持って来る」

 葉梨の返事を待たず、加藤は席を立った。その後を葉梨が追う。
 加藤を追い越してリビングのドアまで葉梨が来た時、加藤の腕を掴んだ。加藤が驚いた時にはもう、葉梨の腕の中に収まっていた。
 葉梨はリビングのドアを体で塞いでいる。

「本城が戻るまで……」
「えっ、でも――」

 葉梨の唇は、何かを言いかけた加藤の唇を塞いだ。肩に回した手は、加藤の顎に添わせて上を向かせている。唇を離した葉梨は、「奈緒」と呼んだ。
 呼び捨てにされて目を伏せる加藤にもう一度、言った。

「俺だけを、見て」

 目を見開いた加藤を見て、葉梨は顎に添わせた指に力を込めて、首に唇を這わせた。加藤は腰を抱く葉梨の腕に手を添わせている。

 葉梨の舌が耳朶から首を這うにつれ、加藤の吐息が漏れ出した。腕に添わせた指先に力が入る。
 加藤の肩に回した腕に力を込めて引き寄せると、耳元で葉梨は囁いた。

「奈緒の、あんな姿を見たら、俺……我慢できない」

 そう囁いて加藤の目を見て、また唇を重ねた。
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