ファーレンハイト/Fahrenheit

#06 姐さん、襲来(後編)

 午後二時五十分

 打ち合わせが終わり、相澤、本城、武村の三人は昼を取りに外出した。
 捜査員用のマンションのリビングにいるのは俺と葉梨で、玲緒奈さんは女性捜査員用の仮眠室で荷物を解いている。加藤はまだ帰って来ない。多分、駅に行って電車に乗るより早いからとマッチョしかいないジムまで走って行ったと思う。

「姐さん、昔は容赦なく引っ叩いてたけど、もうアラフォーだし丸くなったのかな」
「えっと……あの、松永さんはご存知ないんですか?」
「何を?」
「姐さんが手を上げなくなった理由です」
「三人殴ったんだろ? 詳細は知らないけど」

 葉梨が話し始めた玲緒奈さんに関わる事は四年前に起きた事で、優衣香の実家の事件が起きた後だった。俺はその時、情報を一切遮断されていて、何も知らなかった。

 玲緒奈さんの件はかなり問題になったが、直後に兄が本城を庇って公務中に怪我を負った事で有耶無耶になった。というより、それで許された面もある。
 そこに俺が署で暴れて怪我人が出た事も重なり、玲緒奈さんの件は完全に無かった事になった。

「三人のうちの一人が俺です」
「あらやだ」

 玲緒奈さんとペアを組んでいた葉梨は、その日寝坊した。葉梨は待ち合わせ場所に八分遅れたのだが、玲緒奈さんが笑顔で手を大きく振っていた事で葉梨は油断し、手を上げた玲緒奈さんを躱す事が出来ずに鼻にグーパンを食らった。
 人はここまで冷めた目を出来るのかと葉梨は思ったと言う。

 一般的に、女性が被害者で男性が加害者だと周囲の人間は助けに行くか通報をするが、これが反対だとそうでもない。
 だが、通行人が近くの交番に「男性が殴られて血が出ている」とだけ言い、交番から警察官が走って来た。
 彼らが見たものは、仁王立ちする背の高い女と、その女に圧倒されて何も出来ないでいる鼻血が噴き出したままの体格の良い男だった。

 彼らは二人と面識もなく、運が悪いのか、玲緒奈さんに声をかけた方は対応が悪いタイプの警察官で、SNSや動画サイトで全世界に晒されるタイプの警察官だった。
 そこで手帳を見せれば済んだはずなのに、玲緒奈さんはその警察官を葉梨と同じようにグーパンした。
 それを見ていたペアの警察官は対応が丁寧なタイプだったようだが、玲緒奈さんはそいつもついでにグーパンした。連帯責任だったらしい。

 高身長で体格の良い葉梨と、制服警察官二人は鼻血を出していて、それを仁王立ちで眺める玲緒奈さんの元に、応援の警察官も緊走のパトカーも臨場し、大騒ぎとなった。

 後から走って臨場した警察官は玲緒奈さんと葉梨に面識があり、対応が悪いタイプの警察官が何かしでかしてグーパンされた上に、残り二人はついでにやられたのだと思い、玲緒奈さんの話を聞かずに制服警察官の頭を下げさせたと言う。

「なんだその地獄絵図は」
「俺のせいです」
「まあ、そうだけど……」

 その後、玲緒奈さんは副署長の前で正座して、『もうグーパンしません』と誓ったという。
 四年経った今はピコピコハンマーが活躍中だ。

「パワハラで訴えられればいいのに」
「ちょっ!! 義理のお姉さんですよ!?」

 そこに玲緒奈さんがリビングへ戻って来た。

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