ファーレンハイト/Fahrenheit
 その相澤の顔を葉梨は見ていたが、玲緒奈さんに顔を向けた。玲緒奈さんは「暑い」と言い、着ていたウインドブレーカーを脱ごうとしていた。

「少し、換気しましょう」

 俺はそう言って席を立ち、加藤も席を立ってバルコニーに面した窓とリビングのドアを各々が開けたが、相澤が「あっ」と言い、何かと思って相澤を見ると、同じ視界にいる加藤が今にも倒れそうになっているのも見えた。俺はリビングのドアにいた加藤に走り寄って体を支えた。

「玲緒奈さんと俺、お揃いコーデですね!」
「あー! ホントだねー!」

 加藤を支えながら玲緒奈さんと相澤を見ると、黄色い看板のマッチョしかいないジムで売っているあのTシャツを、玲緒奈さんも着ていた。
 二人は笑顔で顔を見合わせている。

「ヤバいです、松永さん……」

 今にも消え入りそうな声で加藤が俺を呼んだ。何かと思って加藤を見たが、相澤の声に俺も倒れそうになった。

「これは加藤がお下がりでくれたんです!」
「……お下がり?」

 顔面蒼白となった加藤は、「マジもう無理」と言って、目を閉じた。

 加藤は雪の日に相澤を風呂に入らせたが、トランクスは仕方ないにせよ、汗ばんでいる肌着を風呂上がりに着せるのもどうかと思い、オーバーサイズで気に入っていたマッチョしかいないジムの黒いTシャツを相澤にあげた。それは襟ぐりがビロンビロンになっていた為、加藤は部屋着にしていたという。
 だが相澤は、カッコいいからと一軍として着ている。
 裕くんはそういうのをあんまり気にしないタイプだ。

「襟ぐりがデロンデロンじゃない、だめよ、裕くん」
「そうですか?」

 玲緒奈さんが加藤に向き直すのが早かったのか、加藤の口が開くのが早かったのか、定かではないが、加藤の新人ばりの大きな声がリビングに響き渡った。

「隣の駅前にマッチョしかいないジムがあります! 私、今から買ってきます!」

 加藤がコートを着てカバンを持ち、リビングを出て玄関を出て行くまで、五秒もかからなかった。

 玲緒奈さんと俺以外の捜査員は呆気にとられている。

 ――優衣ちゃんの言う通り、部屋着にすれば良かった。

 俺はウインドブレーカーのファスナーを顎までそっと上げた。
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