ファーレンハイト/Fahrenheit

#03 十六年の片思い

 一月十四日 午後二時三分

 松永敬志は弟の松永理志が勤める美容院にいた。
 敬志の伸びた髪を指先に取って眺める理志を、敬志は鏡越しに見ている。

「優衣香はこの前来たんでしょ?」
「ああ、うん、カットとトリートメントでね」
「ここ来た後に風邪ひいて寝込んでた」
「あらら」

 理志は頭の下半分の短い髪を見てから、鏡越しに敬志の顔を見て、「優衣ねえの髪型はどうだった?」と口元を緩めて言った。

「どうって?」
「可愛いとか、すっごい可愛いとか、なんか感想あるでしょ? ちゃんと言ったの?」
「はあ……?」

 笹倉優衣香を思い浮かべているのか、恥ずかしそうに目線を彷徨わせる敬志に理志は噴き出した。

「兄ちゃんは優衣ねえのあの髪型が好きでしょ? それを優衣ねえに言ったら、ならその髪型にしようって言ったんだよ。ふふっ」
「そうなんだ……」
「優衣ねえが好きな兄ちゃんの髪型って、知ってる? 聞いた事ある?」
「えっ、無いよ。知らない」

 理志は鏡の前にあるカウンターに置かれたタブレットを手に取り、表示された画像を敬志に見せた。

「優衣ねえは短い髪が好きみたいでね、こういう『理容師が手掛ける昭和のいい男』みたいな髪型が良いって言ってたよ」

 タブレットに表示された髪型のタイトルは『スパイキーショート』とあったが、トップに多少のボリュームのあるベリーショートだった。
 それをじっくり眺める敬志に理志は、「問題ないなら、それにする?」と言うと、敬志は「美容師さん! お願いします!」と元気に答えた。

 歯を見せて笑う敬志を見て、理志も笑いながらこう言った。

「俺が美容師になるまで、兄ちゃんはずっとこういう髪型だったよね」

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