ファーレンハイト/Fahrenheit
 私はメッセージアプリのビデオ通話をタップし、葉梨の応答を待った。

 葉梨が応答すると、困った表情をしていた。どうしたのだろうか。

「葉梨はこういうの好き?」
「えっと、あの、もう、着ている、と」
「うん」

 私が今着ているベビードールは黒いサテンで、薄いピンクのリボンが縁取りとしてフリフリしている。肩紐は細い紐が二本だ。何の為に二本あるのか分からないが、おそらく念の為だろう。

 葉梨は私が着ているものなら何でも良いと言う。それでは困るのだが、頭を抱えながら目を閉じてそう言う葉梨は、先輩の私に気を遣っているのだろう。

「ねえ葉梨、臍が見えているんだよ」
「んんっ!?」

 私は懸垂マシンで腹筋をする時に握るグリップにスマートフォンを立て掛け、全身が映るようにした。

「ほら、臍が見えるでしょ?」
「……はい」
「臍が見えてても良いの?」
「……はい。見えていても良いです」

 ついでだから、葉梨へこのベビードールを買うに至った経緯を話した。ネットで『初エッチで男性が彼女に着て欲しいランジェリー』というタイトルの記事を読んだ事、そこに書かれていた男性の意見は皆違っていて参考にならず、葉梨に聞いてみよう思ったと言った。

 記事タイトルを言った時点で葉梨は唇を噛んで天井を見上げていたが、今は画面を見ている。

「あの、加藤さん」
「なにー?」
「今から行ってもいいですか?」
「あー、うん……」
「すみません、ご迷惑なら……」

 迷惑なわけがない。だが、今日の葉梨は休みではない。午前零時には捜査員用のマンションに戻らなくてはならない。官舎へは荷物を取りに戻っただけだ。

「あのさ、これ以外にも、買ったものがあるんだよ」
「えっ……」
「それを見せるから、えっと、あの……」
「…………」
「マッチョしかいないジムに行かない?」
「はっ!?」

 画面の葉梨は、『お前は何を言っているんだ』の顔をしている。私は葉梨のその顔が好きだ。ちょっとカッコいいと思っている。

 こんなにも早く、葉梨とマッチョしかいないジムに行けるとは思わなかった。嬉しい。
 世界中にあるマッチョしかいないジムだが、葉梨はどのジムにいるマッチョよりもカッコいいだろう。
 だからマッチョしかいないジムのロゴの青いリンガータンクを着た葉梨は、世界で一番カッコいいはずだ。買っておいて良かった。

 一人の女だけを夢中にさせる男は、いい男――。

 私はもう、葉梨に夢中だ。






❏❏❏❏❏


あとがき


加藤奈緒と葉梨将由のスピンオフは
『ブランカ/Blanca』として公開しています。

約二年前、加藤奈緒と葉梨将由が初めて出会った日から一緒に仕事をする日を迎えて本編スタートまでの物語。
加藤奈緒が主人公のコメディです。
その他、ファーレンハイト第二部の主要メンバーでもある岡島直矢、松永敬志、須藤諒輔、松永敬志の同期の男性が出てきます。

松永敬志が加藤奈緒にしでかすロクでもない行動・言動の数々、言葉足らずの加藤奈緒に困惑する葉梨将由、姐さんこと松永玲緒奈のヒミツ、上司の須藤諒輔から受けるハラスメント、ポンコツ野川のポンコツな日常、加藤奈緒の両親、弟、犬、そして葉梨将由の実家と妹と犬など、『奈緒ちゃんがこうなるのも無理もないね……』と呟きたくなる盛りだくさんな全45話になっています。

URL
https://www.berrys-cafe.jp/spn/book/n1704732/
よかったらご覧下さい!
コメディです!
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